陸軍1/48九七式重爆撃機2型(ラクーンモデル)

陸軍 1/48九七式重爆撃機2型(ラクーンモデル)

標準化とセクト主義と

戦前から戦中にかけて日本陸軍と海軍の仲の悪いことは有名で事あるごとにネーミングから兵器の規格まで互いを無視し対立を繰り返していました。

例えば国民の献金によって軍に献納された飛行機を陸軍では愛国機、海軍では報国機と言いました。地上から飛行機を射つ大砲のことを陸軍では高いところを射つ砲で高射砲と称し、海軍では角度が高い砲で高角砲と称しました。ネーミングの問題は子供じみてはいるものの大した実害はありませんが兵器の規格となると別問題です。

例えば日本陸軍と海軍の20ミリ機関砲はそれが同じ呼称であっても規格が微妙に違い陸軍の20ミリ機関砲には海軍の20ミリ機関砲の弾丸が同じ口径でありながら使えなかったのです。そのため陸軍の機関砲が弾丸を撃ちつくしたあと海軍の同じ口径の弾丸がたくさん残っていても融通できませんでした。この点アメリカは早くから陸軍と海軍の規格統一を実現しメンテナンスや予備部品の貯蔵など効率的に行うことができました。

日本陸海軍が統一化標準化ができなかったどころか陸軍の中でさえできなかった事例もあります。数百機或いは数千機も作られた陸軍の各種戦闘機のスロットルレバー(自動車でいうアクセルです。)の鉄の棒を押し込むと出力上昇する戦闘機と逆にスロットルレバーを引くと出力が上昇する戦闘機が混在したのです。一人の搭乗員がただ一機種の飛行機だけに乗り続けるのではなく何種類かを乗りこなさねばならないのです。空中戦の最中の心身ともに異常な状態のときに頭の中でよく考えて頻繁に使うレバーを引いたり押したりなどできるものではありません。このような不統一な規格のせいで不利な戦いを強いられ命を落とした搭乗員も少なくなかったのではないかと思います。

また陸海軍の互いに無視する体質は信じられない無駄遣いも引き起こします。昭和13年ごろ友邦ドイツのダイムラーベンツ社製のDB601という航空用エンジンをライセンス生産するときに日本陸軍と海軍は連絡を取り合うことなくそれぞれ別々にベンツ社と契約し(陸海軍が相談しながら契約すればライセンス料は半分になったのにもかかわらず)同じ金額のライセンス料を支払ったとのことです。ベンツ社は驚き呆れたことでしょう。

さらに日本陸軍は航空母艦と潜水艦を自前で作ろうとしたのです。軍艦の中でも特殊な船である空母と潜水艦は膨大な技術の蓄積が必要なのですがそれを海軍に教えてもらわず独自に行ったのです。関係者の凄まじい努力で空母(秋津丸)と潜水艦(マルユ艇)は完成実戦投入されますが所詮幼稚なレベルの船で当然のようにほとんど戦局に寄与することはありませんでした。実は海軍も(水陸両用)戦車(特四式内火艇)を製作しますがこれも初心者が見よう見真似で作ったような代物で作戦に使われることはほとんどありませんでした。相手を無視するという態度が壮大な無駄を招いたということです。

このような事例は枚挙に暇がありません。島国日本のセクト主義と考えるのは容易ですが実は日本には陸軍と海軍の上に立つ権限を持った最高指導者が制度化されなかったのが、その根本原因だと私は考えています。

戦争中、ドイツはヒトラー総統、アメリカはルーズベルト大統領、イギリスはチャーチル首相、ソ連はスターリン首相が陸海空三軍の総司令官の地位にあり情報も権限も豊富に与えられた上で最高意思決定を行いました。どこの国でも陸軍と海軍はあまり仲がよくありませんが、最終決定が一人の権力者によって行われる場合はそれに従わざるをえずセクト主義の弊害が軽減されます。日本にはこのような最高権力者が存在せず(形式的には大元帥たる天皇はいたものの)陸軍と海軍の情報の共有やシステムの標準化がうまくいきませんでした。持たざる貧乏国日本こそが取り組まねばならないはずだったのにです。

この点会社経営は最高権力者たる代表取締役社長が制度として存在するので戦争中の日本軍のようなことはありません。しかし制度がそのようになっていても社長が上手に運用しなければ何にもなりません。社内各部門を競わせるのは大いに結構ですが、社長自身が情報を充分得た上で最終決断をし強力なリーダーシップを発揮しなければなりません。