平成24年1月の正月明けに会社買収の案件で、条件の交渉と財務内容の調査に2泊3日長野県に行ってきました。長野というと私はかなり遠いというイメージでしたが、東北新幹線大宮駅で長野新幹線に乗り換えて大宮駅から長野駅までたった1時間1分でしたので仙台からですと充分日帰りできそうな感じがしました。

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昭和47年2月の浅間山荘事件の際に人質救出のために山荘の壁をクレーンで釣り上げた鉄球をぶつけて壊して警官隊が突入したことがありましたが、ニュース映像で必ず出るシーンなので覚えている人も多いと思います。その鉄球を交渉先の会社が当時50万円で払い下げられ倉庫に置いているというので見せてもらいましたが直径1メートルにもならない意外に小さいものと感じました。それでも3トンもあるとのこと。これがあの歴史的な鉄球かと撫でさすりちょっと嬉しかったです。

朝早く起きて善光寺にお参りに行って、偶然に朝のお勤めを終えた管主様に私の頭のてっぺんを数珠でポンポンと撫でてもらってご利益があったのか、会社買収の交渉や調査が非常にスムーズに進んで帰りの新幹線まで若干時間的な余裕ができたので、会社の人に無理を言って隣町の上田市にある戦没画学生の遺作を集めて展示している無言館を見学させてもらいました。作家水上勉のご子息が館長さんのこの展示館は、戦争中に美術大学の画学生だった人たちが出征する前に描いた絵や彫刻を展示しており解説を読むと涙が止まりません。

ある画学生は出征のその日の間際まで恋人をモデルにして徹夜で絵を描き続け、見送りに来た隣近所の人たちが庭で待っているからと父親に促されてついに恋人の肖像画が未完のまま筆をおいて出征したまま戦死しました。母親は父親の隣で泣いていたそうです。未完のまま残った恋人の肖像画の目は暗く悲しげで、モデルである恋人と描いた画学生の胸中如何ばかり。そしてその(自慢の)息子をお国に差出さねばならなかった両親の胸中は察するに余りあります。宮城県石巻市出身の彫刻家高橋英吉さん(昭和17年11月ガダルカナル島で戦死)の遺作も展示されていました。

応召された画学生たちはどんなにか戦争に行きたくなかったことか、どんなにかもっともっと絵を描き続けたかったことかと見学していて胸が潰れる思いでした。平成の御世は不景気だの何のかんのと言っても、仕事に関しても遊びに関しても何の制約もなく専念できるこの平和な世の中に心から感謝したい気持ちです。

仙台から新幹線でたった三時間足らずの長野県上田市にある無言館に是非足を運んで、当時の画学生たちの悲痛な叫びを多くの人たちに感じていただきたいと思います。