劇作家小山内薫が大正11年に発表した戯曲に“息子”というのがあり、翌大正12年には六代目尾上菊五郎丈によって早くも帝劇で公演が行われています。

小山内薫が書き下ろした戯曲なので新劇の分野だと思うのですが歌舞伎としても全く違和感がありません。文学座の加藤武や佐藤B作などにより公演は行われていますが、江戸の市井の雰囲気や今と変わらぬ親子の情愛が描かれている名作にもかかわらずこのごろはなぜか上演されることが少ないようです。

平成1711月歌舞伎座で当時まだ市川染五郎を名乗っていた当代松本幸四郎と中村歌六によりこの“息子”が公演されました。

粗筋は、雪の降りしきる12月のある寒い夜、江戸の入口近くにある火の番小屋で一人侘しく暮らしている(歌六扮する)老爺のもとに(染五郎扮する)ならず者風の若い男が入ってきます。老爺はその男を火に当たらせ自分の弁当の残りも与えながら身の上を聞くと、その若い男は大坂で食い詰めていかさま博奕に手を出して追われていると正直に答えます。すると老爺も、金次郎という名前の自分の息子も9年前に大阪に修行に行ってその帰りを待ちわびていると伝えるのです。驚く若い男、老爺は気が付いていなかったようですが自身こそがその金次郎だったのです。

そこへ金次郎を捕らえようと突然捕り方が番小屋に飛び込みますが、これをすり抜け逃げ去ります。捕り方がいなくなったのを見計らって再度番小屋に舞い戻った金次郎は老爺に「婆さんは達者か?」と聞くとすでに死んだと言われ「息子の帰りを待たずに死んだか。」と呻くようにつぶやく金次郎に向かって「早く逃げろ。」と促します。金次郎は「ちゃん」と老爺に一言呼びかけて雪の中に消えていって幕となります。

ほんの30分ほどの短いお芝居ながら親子の情愛にホロリとさせられる名作です。9年ぐらい会わなくて実の息子の顔を忘れてしまうのはおかしいと疑問を呈する向きもあり演技と演出の難しさにもなっているようですが、老爺の持つ立派に成長しているはずの息子に対するイメージと、大阪での9年にわたる金次郎のすさんだ暮らしによる容姿の変貌とのギャップによってはありうる話だと思います。

「親思う 心に勝る 親心」とか。吉田松陰が処刑される直前に走り書きした辞世の句です。(因みに下の句は「今日のおとずれ なんと聞くらん」です。)

ラストシーンで老爺は捕り方に追われているこの若い男こそ実の息子金次郎だと(おそらく)気が付くのですが、(自分の危険もかえりみず)万感の思いを込めて「早く逃げろ」とだけ伝えるのです。雪の中に消えていく息子をただ呆然と見つめる老爺。息子の出世を信じ、いつか自分のもとに錦を飾って帰ってきてくれることをひたすら願っていた老爺の希望が消えてしまった瞬間です。

その後の金次郎と老爺がどうなったかの記述を小山内薫はしませんでした。読者や観客の想像に任せようとしたのかもしれませんが、もったいないですね。私なら、次のようなストーリーを付け足します。

何とか大阪に逃げ帰った金次郎が一念発起し苦労の末立派な人間となり、再び江戸に戻って父親を探し当てます。死の床に伏している父親は、あの火の番小屋の夜のことはおくびにも出さず息子の出世をただただ喜びながら目を落とすというものです。

もう一つのストーリーは、大阪に逃げ帰ってまっとうな職業に一度は就いたもののやはり金欲しさからいかさま博奕に手を出して捕まり、殺される瞬間「ちゃん」と呻くようにつぶやいて絶命するというものです。

この両極端なストーリーの中間的なものも容易に作れそうですが、やはり専門家の感覚からすれば蛇足ということなんでしょうか。

もう一つ蛇足を承知で付け加えるなら、金次郎役は歌舞伎優等生(意味不明!)で由緒正しいお坊ちゃま(と言ったら言い過ぎか!!)然とした(当時の)市川染五郎ではほんのちょっと違和感がありました。中村獅童などうってつけ、片岡愛之助でもいいかもと、ド素人がゴーガン不遜にも観劇当時思った記憶があります。