令和281日、この3月から新型コロナウィルス蔓延のせいで公演中止が続いていた歌舞伎座でしたが八月花形歌舞伎としてやっと再開されました。マスク・消毒・検温のほかに座席は一席置きに観客が座ることになりかなり緊張感のある初日となったようです。テレビニュースのインタビューで「やっぱり生の舞台はいいですね。」と嬉しそうに語る終演後の観客の姿を見て羨ましくは思いましたが、まだまだ石巻から新幹線と電車を乗り継いで歌舞伎座に入る勇気はありません。(お前の歌舞伎への思い入れはその程度か!と言われそうですが・・・。)それでも観劇できないお陰でこれまでの筋書本をじっくり読み返しては感動を新たにすることができて逆にいい面も大いに感じています。(アハハちょっと強がり!)

もう29年も前ですが平成39月の歌舞伎座は、谷崎潤一郎が大正632歳の時に発表した“十五夜物語”でした。発表の数か月前に谷崎は母親を亡くしており「その悲しみがこういう形で表現されたのではないかと思う。世間にはあまり知られていない割に自身には忘れがたい作品である。」と後年述べています。

粗筋は、江戸の谷中にわび住まいをしている(当時中村福助→現梅玉扮する)浪人浦部友次郎は村の子供たちに手習いを教え、妹の(当時中村松江→現魁春扮する)お篠が針仕事をしてやっと暮らしています。

友次郎は西国の大名に仕えていたが同じ家中の(先代中村雀右衛門扮する)腰元お波と恋に落ちたがゆえに“不義はお家の御法度”ということで追放されます。折悪しく友次郎の母親が難病にかかり治療費工面のためにお波は吉原に身を売りますが、その甲斐もなく母親は亡くなります。三年の年季奉公が明けてお波が戻ってきますが、苦界での辛い日々のせいで病気のような青白い顔で寝たり起きたりの生活が続き妹お篠がそれでも甲斐甲斐しく世話を焼きます。しかし廓の日常が抜けないものか時々商売女のようなしどけない姿も見せることに、自分の母親の治療費工面のためにこうなったのは重々承知ながらも友次郎は苦々しい気分になります。そしてついに我慢の限界を超えこれからの生活に絶望した友次郎は母親のお逮夜の十五夜の晩に妹お篠を使いに出した上でお波の部屋に入って無理心中を遂げます。

このように身も蓋もないほど暗く悲しい芝居でした。吉原に身を沈めるということはそれほど心身ともに恐ろしいほどのダメージを受けるものの様です。誇り高い武士の妻となれば尚更だったかもしれません。遊女を多数抱える遊廓は遊女を一人の人間として扱うことはなく商品としか見ていませんでしたから客に人気があるうちは大事にするものの、病気や怪我で商品価値がなくなったと判断すると手のひらを返したように無慈悲な扱いをするのが常でした。落語などにも出てきますが、冷酷な遊廓を表す言葉として“鬼の新金 鬼神の丸岡 情け知らずの大万(おおよろず)”というのがありました。新金も丸岡も大万も江戸時代実際に新宿にあった大見世ですが、抱えている遊女に対する待遇・仕打ちがあまりにひどいということでそのような戯れ歌にもなったのだそうです。

苦界とはよく言ったもので、そのような所での三年に渡る辛い日々の末、お波が心身に変調をきたし普通の生活にはなかなか戻れないということは容易に想像がつきます。しかし友次郎にしてみればあれほど愛し合っていたお波の振舞いが理解できず、絶望の果てに十五夜の晩心中して果てます。

“十五夜の晩の心中”というのがポイントになりそうです。思うに月は古来日本人にとって神秘的な存在であり続け、かぐや姫をはじめとして月を題材にした物語は沢山あります。西洋にも満月の夜に狼男に変身するという話がありますから、洋の東西を問わず月は不思議な存在であったようです。新月から満月にかけての月のサイクルには人間の行動や感情に何かしら影響を及ぼすとも言われています。特に満月の夜はホルモンバランスの乱れから人は精神的な緊張が高まることで狂気に走る場合があり、犯罪が増え大事件や大事故が起きやすくなるとも言われています。そして男女間でお互いを思う気持ちが強ければそれがさらに強くなるのですが、一旦うまくいかなくなると相手を嫌う気持ちがさらに強まって悲劇的な結末を迎えることが多いとも言われています。

この“十五夜物語”もまさにその通りの展開となり、いいお芝居なんでしょうけれど観客にとっては暗く沈んでしまう後味の良くないお芝居となってしまったようです。そのせいかどうか“十五夜物語”はこの公演の後は平成9年に一度歌舞伎座で公演されたきりでその後の上演はないようです。それでも谷崎潤一郎が言うように心に残る忘れがたい作品であるということは充分理解できました。