( “南の島に雪が降る” その一 )

加東大介さんという人情味あふれる俳優がおりました。昭和5064歳で亡くなっていますから、この名優を知る人は今ではもう60代以上の方でしょうか。映画に数多く出演しテレビでもNHK大河ドラマ昭和41年「源義経」の金売り吉次、昭和43年「坂本龍馬」の勝海舟役などのほか「鬼平犯科帳」や「大岡越前」などの時代劇によく出演していたので記憶されている方も少なくないと思います。兄は前進座の沢村国太郎、姉は女優沢村貞子、甥には長門裕之と津川雅彦という芸能一族です。父親が歌舞伎の座付き作者ということで昭和4年歌舞伎界に入りますが、昭和9年前進座に転じその丸々とした顔形に似ぬ精悍な演技で中堅俳優として活躍します。

アメリカ・イギリスなど連合国との戦争がすでに負け戦になりはじまっていた昭和18年秋応召、衛生兵として日本から南に遠く5千キロも離れたニューギニアに送られます。“ジャワの極楽 ビルマの地獄 生きて帰れぬニューギニア”と言われた地で絶望の日々の中少しでも戦友達の気持ちを慰めようと加東さんは、ジャングルに簡易な芝居小屋を建て遠く離れた故郷を偲ぶお芝居を敢行するのです。終戦を4か月後に控えた昭和204月から始まったこの芝居公演は、日本に帰るまでおよそ1年余り続き、多くの戦友達の(計り知れないほど大きな)生きる希望となりました。

運よく生きて日本に帰ることができた加東さんは、戦後この時の体験を基に“南の島に雪が降る”という小説を書き上げ、ベストセラーとなってテレビドラマや映画そしてお芝居にもなりました。こういった類の本にありがちな反戦を前面に押し出し戦場経験を呪うようなプロパガンダ的文章は一つもなく、極限状況の中で芝居に情熱を傾けた事実が淡々とつづられていることがかえって感動を倍加させるようです。

私が社会人になって初めて“木戸銭”を払って劇場(宮城県民会館)で観たのがこのお芝居でした。観劇は昭和57年前後の秋ごろだったのですが筋書本もパンフレットも手元に残っておらず、残念ながら出演俳優(メジャーな俳優はいなかったように思います。)どころか日にちすらも曖昧ですが、感動だけははっきりと胸に残っています。

加東さんがニューギニアに送られた昭和18年から19年にかけて日本軍はすでに幾多の海空戦で船も飛行機もそのほかの兵器についても多くの損害を出し、米軍と違って国力の限界から補充が思うに任せない日本軍が一方的に押された時期です。オーストラリア北方に位置し世界第二の面積の島であるニューギニア東半分では連合軍の激しい攻撃にさらされた日本軍が多くの死傷者を出しましたが、加東さん達が派遣された西半分は連合軍の攻撃対象から外れたので激しい戦闘はありませんでした。その代わり連合軍は内地からの補給を徹底的に妨害しましたが、それ以外は飛行機による爆撃がある程度で戦闘による死傷者はそれほど多くはありませんでした。しかしその分飢餓と病気によって日本軍将兵は戦わずして次々と倒れていきます。加東さんが派遣された地域では当初2万人の将兵を擁していましたが、他の地域への転出と戦病死などで最後は7千人にまで減ってしまいます。

この未開の地に駐屯したというより捨て置かれた兵士たちは、祖国どころか連合軍からも見捨てられた格好になったのです。そのため飽食の平成・令和日本に暮らす我々にとっては、想像を絶する過酷で悲惨な状況がニューギニアに送られた兵士たちに長く続いたのです。

“南の島に雪が降る”というお芝居は、ニューギニアという島に取り残されて故国に帰るあてもなく自暴自棄になっていた兵士たちにお芝居を通して生きる希望を取り戻してもらい、ついに生きて日本に帰るといういわば“大人の為のお伽話”ともいえる作品になっています。

歴史とりわけ戦史、特にニューギニアの戦いの知識があるとその感動はさらに大きいものになりますが、それらの知識がなくても充分引き込まれるほどの素晴らしいお芝居です。