( “ 十三夜 その一 ” )

平成276月の三越劇場は劇団新派の“十三夜”が公演されました。十五夜ほどメジャーではありませんが、十三夜とは旧暦(太陰暦)の913日にするお月見のことを言います。旧暦815日の十五夜のお月見とセットにして二度お月見をしないと“片月見”と言って縁起が悪いとされ、江戸時代から明治・大正の頃までごくありふれた庶民の行事でした。

因みに新暦(太陽暦)の今日では、十五夜も十三夜も決まった15日や13日ではなく毎年違った日になります。これは旧暦の815日や913日を新暦に直すと大きく日付がずれるからですが、97日から108日までの間で満月になる夜を十五夜としており令和2年の十五夜は101日、十三夜は1029日になるのだそうです。

十三夜はそのものずばりの題名で歌謡曲もたくさん作られており、古くは市丸や二葉百合子が歌い、さだまさしや鈴木雅之・谷村新司などもこの十三夜を曲にしています。

俳句の季語にも使われることがあり、誰やらの句に 

“ 泊まる気で 客が来るなり 十三夜 ” というのがありました。

樋口一葉が書いた小説“十三夜”は新派により昭和229月、場所も同じ三越劇場で花柳章太郎のせき、大矢市次郎の録之助で初演されました。

粗筋は、明治の中頃東京上野新坂下に住まいする元士族斎藤主計(かずえ)夫婦がお供え物をしてお月見をしている十三夜に突然(波乃久理子扮する)娘のせきが帰ってきます。前途洋々のエリート官吏原田勇に強く望まれて(身分違いと知りながら)嫁いだせきでしたが、子供が生まれるや手のひらを返したような夫と姑の辛い仕打ちに6年の間辛抱してきたものの、ついに絶望の末別れる決心をして実家に戻ってきたのでした。しかし父親主計の説得と、残してきた子供を思う気持ちにひかされて再び原田の家に力なく帰って行きます。

夜も更けた帰り道人力車に乗ったせきは、その車夫が初恋の(松村雄基扮する)高坂録之助の変わり果てた姿だと気が付きます。録之助も乗せた客が昔想いを寄せていた幼馴染のせきと知るや、自嘲交じりにせきが金持ちの家に嫁ぐことを聞いた時絶望のあまり荒んだ生活の果てに車引きにまで落ちぶれたこと、そして一生のうちに夢でもいいからせきと口をきいてもらえたら死んでもいいとそればかり念じていたと寂しく笑うのです。身の上話をしながら二人は原田の家の近くまで十三夜の夜道を歩き、万感を胸に秘めながらもそれ以上互いの想いを語ることなく東と南に別れるところで幕となります。

ウーン、短編ながら悲恋の物語にジーンと来る場面ばかりです。ほんの24歳で亡くなった人生経験が浅いはずの樋口一葉にどうしてこんなストーリーが思いつくのか不思議で仕方ありませんが、こうしてこの舞台は、三越劇場(大半年配女性の)600人余りの観客の紅涙(こうるい → あんまり使われませんね、この頃この表現)を散々に絞ったのでありました。

しかし、ちょっと待てよ!と、この時カイケーシさん的発想が頭をもたげたのですが、それは “十三夜 その二” で語ることにします。