( “ 怪談牡丹灯籠 ” その二 )

3時間ほどのお芝居の中で幽霊が舞台に現れる場面はそう多くはありません。下男の伴蔵・お峰夫婦は当初お札を剥がしてくれという幽霊の依頼を断っていたものの次第に金に目がくらんで幽霊のいいなりにお札を剥がし純金の如来像を奪った結果として主人である荻原新三郎を死に追いやるまでの描写に多くの時間が割かれています。主人の荻原新三郎にわずかな給金ながら一生懸命世話を焼いていた小心者の伴蔵夫婦が次第に悪い心に変わっていく様が観客によく伝わり、つまり観客は幽霊の怖さと共に伴蔵・お峰の金銭欲にも恐怖を感じるような舞台の構成になっているのです。

仏教の教えの通りの因果応報ということでしょうか、伴蔵さん めでたし!めでたし!の終わりにはなりません。金に余裕ができると男は甲斐性とばかりにお決まりの女遊び、そしてその末の修羅場と他のお芝居にもよくあるような展開で伴蔵もお峰も結局は悲惨な末路を迎えることになるのです。やっぱり観客はこういった因果応報・勧善懲悪というストーリーに共感を覚え納得して劇場を後にするのだろうと思いますね。

伴蔵に扮した市川中車はピッタリはまり役でしたが、その連れ合いのお峰に扮した坂東玉三郎も伴蔵に負けない強欲さと腹の座り具合、亭主の浮気を知ったときの逆上ぶりが、いつも見慣れた気品ある雰囲気の役どころとは全く違ってこちらもうなるほどの名演技でした。高貴な役から下賤な役まで幅広くこなす玉三郎はやはり希有な役者だと思います。

お露とお米が牡丹灯籠を下げて新三郎の家にやって来る時下駄の音を響かせてやってきます。舞台上でも効果音としてそのカランコロンという音が観客の耳に届きますが、幽霊にも足があるんですね!

江戸時代中期の絵師円山応挙が幽霊画を描いた時に足の部分をぼやかして足のない幽霊図を発表しますが、怖さがさらに増したとして話題をさらいます。それ以来江戸から明治時代にかけて幽霊には足がないものという観念が定着することになります。明治中頃初代尾上松緑がこの応挙の絵を参考にして“ジョウゴ”と呼ばれる裾の長い衣装で足を隠した演出により凄みを出したことから歌舞伎でも幽霊には足がないというのが定着したと言われています。しかしその後“牡丹灯籠”で足のある幽霊が歌舞伎に出たことで明治の観客はさぞ驚き、時代も変わったもんだと妙に納得したかもしれません。現在では生きている人間と全く変わらないような足のある幽霊も、足のない幽霊も歌舞伎に登場しますけどね。

当事務所のお客さんの病院でも真夜中院内を巡回していると誰もいないはずの真っ暗な待合室や手術室でスリッパの音がパタパタと鳴ることがあるのだそうです。この先生も「幽霊には足があります。」と断言しておられました。「怖くないもんですか?」と聞くと「幽霊はそこにいるだけで物理的に人間に仇を為すわけではありませんのでね。」ということでしたが、真偽のほどはわかりません。