( 茶壷 )

能楽を題材にした歌舞伎作品を“松羽目物(まつばめもの)”と呼ぶことがあります。能舞台の背景に使われる大きく明るいタッチの松の木の絵を歌舞伎舞台でもその背景に使うことから、松をはめた舞台のお芝居ということでそう呼ばれます。

平成12年8月歌舞伎座において公演された松羽目物の“茶壷”は中村勘九郎(当時 → 18代目中村勘三郎丈 平成24年没)と坂東八十助(当時 → 10代目坂東三津五郎丈 平成27年没)の黄金コンビによる舞台となりました。公演から20年以上が経ち、私と同年配のこの二人の人気歌舞伎役者がすでに鬼籍に入っていることに改めて寂しくなります。

40分ほどの短い舞踊喜劇である“茶壷”の粗筋は、お茶好きの主人の命令ではるばる京都までお茶を買いに来た勘九郎扮する麻胡六(まごろく)が帰り道、酒の本場で何かと理由をつけては酒を飲んだあげく酔っ払って道端に寝込んでしまいます。そこへ八十助扮する熊鷹太郎という盗人がやってきて茶壷の縄をつかむと目覚めた麻胡六が 「昼強盗だ、出合え、出合え」 と大仰に叫ぶのですがなんと熊鷹太郎の方も同じように叫びます。これを聞きつけた役人が茶壷を預かりどっちが盗人か調べようと尋問を始めるのですが二人ともすっかり同じ答えを言います。というより麻胡六が答えると熊鷹太郎がそれをなぞるように一言一句同じように答えるので役人はどちらが嘘を言っているのかわからないのです。

役人が「茶の由緒・因縁を存じておるか?」との質問に麻胡六が朗々と七五調の名調子で答えるとそれを必死に聞いて覚えた熊鷹太郎がすかさずよどみなく同じように披露すると言った塩梅です。もう客席は大爆笑の連続です。

役人が壺の中のお茶の重さを訪ねた時に麻胡六は、自分が声高にしゃべるのを聞いた熊鷹太郎が同じように答えるのだと気が付き今度は役人の耳元で「15斤(きん)」と小声で囁くのです。何と言ったか聞こえなかった熊鷹太郎の答えはしどろもどろ、ついに盗人だと見破られてしまうというお話です。

能楽の合間に演じられる楽しい狂言を当時歌舞伎界屈指の人気者の勘九郎と八十助の二人が歌舞伎バージョンとしてこの“茶壷”を演じたのですから、もう誰が見たって滑稽で面白くって可笑しくって素晴らしい日本のコメディだ!と思うはずだと充分満足した記憶があります。

東京の旅行社に勤務する弟から先日次のようなメールが送られてきました。

若い時分に初めて訪れた旅先で、自分はこの地にいつまで留まれば気が済むのだろうと思うほど深い感銘を受け、のちの機会にあの熱狂をもう一度とばかりに期待に胸を膨らませつつ再訪したところ、なぜか当時ほどの感動を得られなかったことがえてしてよくあるものです。学生時代二度に渡る貧乏旅行を敢行し、卒業後も旅を職業としたためその後も海外渡航の機会に恵まれた私はその思いをのちに少なからず味わうことになりました。

26歳の折香港からロンドンまでユーラシア大陸を1年かけてバスを乗り継いでひとり旅した作家の沢木耕太郎はその著書で、旅には”適齢期”というものがあると書いています。すなわち経験は元より大きな財産だが若者には未経験という重要な財産がある、本来未経験は負の要素だが旅においては大きな財産になり得る、なぜなら未経験すなわち経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し感動できるということであるからだといいます。

仮にそうであっても旅をするには幼ければ幼いほどいいということにはならない、なぜなら「未経験」者が新たな経験をしてそれに感動できるためには、ある程度の「経験」が必要となり、その経験と未経験のはざまがまさに旅の”適齢期”となるとして、その二つを併せ持った年齢がその人の適齢期といえると結んでいます。

私が沢木同様初めて長い旅に出たのは23歳の時でした。その齢が果たして経験と未経験を併せ持つ旅の適齢期だったのかどうか今となっては知る由もありませんが、長らく抱えていた疑問が氷解したことだけは確かです。

弟の“旅行”と私の“お芝居”という風に対象に違いはあるものの、この文章を読むとこの“茶壷”というお芝居を今勘九郎と八十助のコンビで観劇(もはや叶わぬことですが)したとしても果たして同じように大爆笑できるかどうかちょっと自信がなくなります。

テジャブ(既視感)というより実体験は、実は沢山あります。何度かこの“お芝居礼賛”でも取り上げましたが、最初に見た時にすさまじい衝撃と感動を受けたお芝居なのに2回目以降に見た時にはそれが薄れてしまいあの時の衝撃と感動は一体何だったんだろう? と不思議に思うことが再々ありました。弟からの文章を読んで目からウロコが落ちたようにその理由の一端が分かったようで少し気分が晴れ、同時に過去に素晴らしいお芝居だと思っても二匹目や三匹目のドジョウが常に舞台に生息している訳ではないということにも気が付いてちょっぴり悲しくもなりました。

そのお芝居を見る、経験と未経験の狭間である“適齢期”がいつなのかはわかりません。下手な鉄砲もなんとやらではありませんが、とにかく一本でも多くお芝居を見ることなんだな(OHなんと手前勝手な理屈!)、そのお芝居に感動を受ければまさに適齢期にぶつかったんだなラッキー!と思うことだと、ある意味お気楽に納得しました。この新型コロナ蔓延のせいで1年と5ヶ月の間いまだに観劇再開できないのが残念至極、一日も早い終息を祈るばかりです。