平成21年7月歌舞伎座に当代中村勘三郎長男勘太郎が女形で出演しました。「夏祭浪花鑑」の“徳兵衛女房お辰”と泉鏡花原作坂東玉三郎演出の「天守物語」の“亀姫”でした。私は勘太郎を始めてみたのは平成2年12月の歌舞伎座で当時小学校低学年だった勘太郎君(失礼!)が「供奴」という舞踊劇を一人で踊りきりその見事さに感心したのが最初でした。ところが私の偏見なのでしょうか勘太郎君の顔を見ているとどうも歌舞伎役者というよりはジャガイモを思い出し(なんという失礼!!)てしまい、大きくなってからは女形なぞ到底できないだろうな可哀相に(失礼千万極まれり!!!)と思っていました。お父さんの(当時)勘九郎は子役時代からテレビに出ていて可愛い顔立ちで華がありましたし、もちろん女形も普通に演じられる“兼ねる役者”です。どういうわけかこのお父さんにあんまり似ていませんでしたね。にきび面で少しごつごつした印象だったので団十郎張りの荒事一本かなと勝手に考えていたのですが、ここ数年そのごつごつ感が消えてつるんとしたさわやかな顔立ちになり、「天守物語」の主演玉三郎演ずる気品ある“富姫”と並んだ勘太郎君  演ずる“亀姫”という女形の役も全く違和感を感じることはありませんでした。この数年どんどんお父さんに似てきましたね。顔も姿形もそして何より声がお父さんそっくりで 観劇中何度も驚きました。
ダイヤモンドの原石が職人の研磨によって宝石へと生まれ変わり持ち主の熱い思いで更に輝きを増していくのと同様に、あまり変わらないはずの人間の顔かたちも稽古という研磨作業と舞台での観客の熱い視線により役者らしい気品ある顔立ちに変身しうるということなのでしょう。(中村獅童のような例外もありますが)

勘太郎君は下手な役者のはずがありませんね。お父さんは当代勘三郎、おじいさんは17代目勘三郎そしてひいおじいさんは昭和を代表する偉大な歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎なので役者としてのDNAは十二分に受け継いでいるのですから。

私のお客様に石巻市駅前で耳鼻科医院を長くされていたR先生というお医者様がおいでになり平成21年6月87歳で亡くなられましたが、このR先生がなんとあの六代目尾上菊五郎を治療されたことがあるのだそうです。

終戦後、東京よりは食糧事情がいいだろうということで菊五郎が宮城県の仙台市や石巻市、古川市で歌舞伎公演を行ったことがありました。その際菊五郎が風邪のせいで声が出なくなり、まだ20代だったR先生が菊五郎の滞在する旅館(歌手森公美子の実家だそうです。)まで出張して治療したことがあるとおっしゃっていました。歌手の近江敏郎や落語家の桂米朝にお顔がよく似たR先生でしたが芸能界にはあまりご興味がなく六代目菊五郎を治療したときもそれほどたいそうな役者だとも思わなかったそうです。私なぞ六代目菊五郎を目の前にしたらひれ伏してしまうに違いありません。

昭和24年7月10日に亡くなった六代目尾上菊五郎を直接知る人はもう数少なくなってきているはずです。まして治療をして差し上げたお医者さんはこのR先生でおそらく最後になるのではないかと思います。治療費の代わりにでも菊五郎のサインや押隈をもらっておけばよかったのになあと密かに心の中で地団太を踏んでおります。

戦争は全ての面に暗い影を落としますが歌舞伎界も例外ではありません。現人間国宝の歌舞伎役者が応召され華やかな衣装を脱いで軍服を着なければならなかった例はたくさんありますが、その苦衷絶望感は察するに余りあります。長い戦争が終っても今度は食糧難のために米どころの東北地方に巡業に出なければならなかったのも(もちろん終戦時、東京  東銀座の歌舞伎座は空襲で焼失。)誇り高い六代目菊五郎にとっては内心忸怩たるものがあったはずです。なんでこんな歌舞伎を理解しそうにない田舎者の前で演じなければならないのだ!と。

私のお客様でもちろんご年配の方ですが終戦後に仙台や石巻で実際に菊五郎の公演を見たという方は意外に多くおいでになります。古川市では古川女学校の講堂で公演が行われました。当時古川女学校の生徒だった私の母親も直に菊五郎を見る幸運に恵まれましたが、そのとき東京から古川に疎開してきていた同級生の女子生徒が菊五郎の演技に対して “音羽屋”と見事にかけ声をかけたのです。その瞬間菊五郎がその女子生徒のほうを一瞬振り向いてニヤッとしたそうです。ホホウ古川という田舎にも少しは歌舞伎を理解する者もいるのだなと感じたに違いありません。歌舞伎役者は演技に集中する為に余計な動きは一切しないものだそうです。顔にハエが止まっても振り払ったりしません。以前聞いた話に、ある役者の顔に大きなほくろがありそれが動くので驚いたところなんとハエが止まっていたのだそうです。

そのような歌舞伎役者が“音羽屋”という掛け声に反応したというのは菊五郎自身演技中であったにもかかわらず小さな感動を一瞬感じたからだったのではないかと思っています。(本人は意識したかどうかはともかくも)この疎開女学生の殊勲といえるでしょう。

やがて19代目中村勘三郎を継ぐことになるであろう六代目尾上菊五郎のひ孫勘太郎君いや勘太郎丈の今後を注目しております。