平成29年2月の東京芸術劇場は二兎社公演永井愛原作の報道機関への政治圧力を題材にした「ザ・空気」というお芝居でした。
前年の2月に女性総務大臣が「政治的公平性を欠くテレビ局には電波の停止がないとは言えない。」と某テレビ局に対して行政指導をちらつかせて物議を醸したことがありましたが、それを強く意識しての脚本構成だったように思います。
舞台上のセットにはほとんど手間とカネをかけておらずまた出演者も僅か5人ですが、田中哲司や若村麻由美、木場勝巳などいずれも叩き上げの実力派舞台俳優たちが演ずれば、かくも骨太で見応えのある内容に仕上がるものかと思わずにはいられないほどの出来栄えでした。芝居そのものはサスペンスタッチでテンポも良く視聴者を飽きさせることがありません。
ストーリーは、“偏向報道”をたびたび指摘されているテレビ局の報道生番組のキャスターやプロデューサーに扮した若村麻由美と田中哲司が“お上”からの圧力にビビるテレビ局の役員を向こうに回して(彼らが考える)“正論”を展開し、自分たちの意思を押し通すかに見えたものの“電波停止”という公の圧力と家族にまで及ぶかもしれない闇世界の暴力の影その他諸々が彼らを追い詰め、結局田中哲司の自殺未遂により彼らの完敗という形でこの問題は終わるのです。そしてテレビ局を退社に追い込まれた田中哲司が2年後に自殺未遂の後遺症を引きずった体で古巣を訪れた時、同志だったはずの若村麻由美が何とそのテレビ局の役員になっているのを知って愕然とするシーンで幕となります。
ところで東京芸術劇場で1月20日から2月12日まで公演された「ザ・空気」でしたが公演の最初のころのラストシーンは、若村麻由美がテレビキャスターの仕事を離れて全く別のジャンルに転職していた設定だったとのことです。(要するに私が見たラストとは少し設定が異なっていた。)観客の反応やその他の事情により公演中にシナリオを変更することはよくあることだそうで、おそらく田中哲司と若村麻由美の二人とも当初は権力に屈服した“敗者”の構成から そのうち一人を権力に迎合したいわば裏切り者としての“勝者”に仕立てあげ対比させることによって敗者側をよりクローズアップしようとしたのかもしれません。
私が大学に入学した昭和49年はもう学生運動がかなり下火にはなっていましたが、少数ながらゲバ学生が学内で暴れており、学部長に三角帽子をかぶせて何時間も公然とつるし上げをしたり授業をつぶしに来たりしていましたし、構内で機動隊との衝突も何度か目撃したことがありました。結局彼らゲバ学生もみんな鎮圧されて雲散霧消し後半は平穏な学生生活を送ることができたのですが、この「ザ・空気」というお芝居を見て40年以上も前の(彼らが考える“理想”に燃えた)ゲバ学生と田中哲司らが重なって見えてちょっとノスタルジックな気分になって「ああいいお芝居だったな!」と思いながら席を立とうとしたときに隣の席に座っていた老紳士が「なんて薄っぺらな芝居なんだ。永井愛ほどの脚本家がこんなものしか書けないとは信じられん。報道機関に対する公権力の政治介入の危うさだけがクローズアップされて報道機関そのものが政治権力を持ってしまう危うさが全く描かれていないのは片手落ちもいいところだ。」と舞台に向かって言い放ったのです。
観劇後の余韻に浸っているところに冷や水を浴びせかけられたような気分で「ザ・空気」というお芝居が一瞬にして色褪せた三文芝居に映ってしまいました。この老紳士のいうことがまさにその通りだったからです。思えば昭和の後半あたりから平成にかけてテレビの持つ影響力は絶大になり過ぎました。一国の総理大臣の首ですらもテレビは獲ってしまうこともできるようになったのです。善人になるか悪人になるかは、事実がどうあれテレビ局の番組構成によって容易にどちらにもなりうる危うさを秘めているように見えます。
昨今のいい例が田中角栄元総理大臣です。昭和40年代中卒で総理にまで昇りつめ国中から今太閤ともてはやされて日本列島改造を推し進めた田中総理は、昭和49年金銭面のスキャンダルを追及されて首相辞任、昭和51年にはロッキード事件で逮捕されます。日本中が田中角栄元総理を悪者にして平成5年失意のうちに亡くなるのですが当時はテレビも新聞も田中元総理を叩くのに熱心で評論家も口を極めて罵っていたのが思い出されます。しかしこのごろはどうでしょうか、田中元総理の業績をたたえるテレビ報道や本などが出てきて当時を知るものとしては違和感を覚えざるをえません。テレビ報道で世論を誘導し、その国民の圧力で政府を動かすということもそう難しそうではないような気がします。
名脚本家永井愛さんがこの問題も芝居の中に論点として取上げると「ザ・空気」はもっといいストーリーになったかもしれないと、“ド素人”が不遜なことを考えながら東京芸術劇場を後にしたのでした。