平成29年12月の観劇納めは歌舞伎座で坂東玉三郎・市川中車主演による「瞼の母」でした。(私が勝手に選んだ)劇作家長谷川伸5大名作のうちの一つで、今年は歌舞伎でなんとそのうち三作も取り上げられ嬉しいことこの上ありません。

物語は子供の頃に母親に生き別れた近江の国(滋賀県)番場生まれの忠太郎が、瞼の裏に描き続けた母親の面影を頼りに懸命に探し遂に江戸の柳橋で料亭を営んでいる実の母親のおはまと再会を果たします。やっと逢えたという万感の思いを込めて「おっかさん忠太郎でござんす。」と両手をついて挨拶するのですが、一目でばくち打ちとわかる忠太郎の風体に、父親違いだが嫁入り前の娘お登世の将来を思い、又うまくいっている料亭水熊にどんな災厄が降りかかるかもしれないととっさに考えたおはまが「私の息子忠太郎は9歳の時に死んだと聞いている。」と突き放して追い返すのです。しかしお登世に促されてはっと我に返ったおはまが水熊を呆然と出て行った忠太郎の後を追うのですが、絶望した忠太郎が追いかけてきた二人を物陰に隠れてやり過ごし、「俺あ、この上下の瞼を合わせてじいっと考えていりゃ逢わねえ昔のおっかさんの俤(おもかげ)が出てくるんだ。それでいいんだ。逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。」という腹の底から絞り出すような口調の有名なセリフを残して去っていくのです。 

番場の忠太郎役の市川中車は平成23年9月に歌舞伎界に入る前は香川照之という名俳優でした。父親は先代の市川猿之助(現 猿翁)、母親は女優の浜木綿子(はまゆうこ)ですが、すべてを演劇に捧げている父親先代猿之助は香川照之が1歳の時に家を捨て3歳の時に浜木綿子と離婚して以来、親と子の関係は全く断たれたまま東大文学部を卒業します。そして香川照之が俳優デビューしたのを機に25歳の冬に思い切って公演先の父親に会いに行くのですが、先代猿之助は「大事な公演の前にいきなり訪ねてくるとは何事か!配慮が足りない!!今の僕とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。今後二度と会うことはありません。」と冷たく言い放ったと言われています。その時の香川照之の絶望たるや察するに余りあります。 

歌舞伎座での「瞼の母」の前回公演は平成10年4月でしたが、このときの配役は番場の忠太郎が先代中村勘九郎(18代目勘三郎→故人)と水熊のおはまが沢村宗十郎(故人)でした。先代勘九郎の好演により感動的な舞台だったことは言うまでもありません。

今回の忠太郎役に市川中車を起用したのは実体験をそのまま舞台で表現してもらおうという歌舞伎座側の意図だったのかもしれませんが、若干の違和感を覚えた舞台でもありました。というのは香川照之が25歳の折に父親に会いに行ったのは、会いたくて会いたくて探して探してやっとの思いで会うことができたのではないということです。それが舞台上の料亭水熊のおはまの部屋のシーンでも出ていたような気がします。つまり実の母親にやっとの思いで会えたという震えるような喜びや感動が市川中車からは今一つ伝わってこなかったような気がしたのです。きっと実際に先代猿之助に会ったときもこんな固い感じだったのかなとも思いました。平成10年の先代勘九郎の時は違いました。一瞬でしたが全身で喜びを表した後に「おっかさん、忠太郎でござんす。」と喜びをおはまにぶつけるように言ったときには涙が出そうになったのを覚えていますが、中車の場合にはそれがあまり感じられなかったのはちょっと残念なことでした。 

原作者の長谷川伸はこの物語の中で貧しいながらも三度の食事をとることができて普通に生活できるというささやかなホントにささやかな幸せを必死で守ろうとする市井の人たち(水熊のおはまもその一人です。)の姿も描いています。

また目の見えない三味線引きの老女(実質は物乞い)そして50歳を超えた(江戸の当時としては)かなり高齢の夜鷹(淫売女)なども配役として出していて、忠太郎がもしや自分の母親ではないかと声をかけるところがあります。知らず知らずのうちに年老いた自分の母親は落ちぶれているだろうと考えている忠太郎が哀れになります。物乞いの老女や老夜鷹が自分の母親ではないとわかると、がっかりする反面少しだけホッとした面持で一両小判を渡して立ち去っていくシーンは隠れた名場面だと私は考えています。

大人になった息子が母親を探す物語は極めて少ないと思われますが、この「瞼の母」は江戸時代末期の庶民の風俗も垣間見ることのできる秀作でした。