平成30年2月の下北沢本多劇場は、戦前から戦後にかけて活躍した歌手淡谷のり子の物語「Sing a Song」でした。昭和6年の満州事変から昭和20年の敗戦に至るまで、貧しかった日本はその持てるすべてを戦争に投入し続けました。絵も小説も音楽も例外ではありません。画家も作家も音楽家も、何の疑いも持たず戦争に協力することが当たり前の時代だったのです。

明治40年青森市に生まれた淡谷のり子(平成11年92歳で没)は当初クラシック音楽を志し日本のシャンソンの草分けとも言われていますが、没落した家族の生活を支えるために流行歌手に転じブルースを数々ヒットさせてブルースの女王とまで呼ばれます。しかし戦争が激しさを増すとしだいに軍部は国威発揚・戦意高揚の音楽を要求し、シャンソンやジャズ、ブルースなどは敵性音楽として甘い軟弱な歌と共に排撃するようになります。そして戦局が日本に不利になり負け戦が続くようになるとその度合いは常軌を逸するほどになっていきます。そのような歌を主として歌っていた歌手淡谷のり子にとって厳しい日々が続くのです。

声優で歌手でもある戸田恵子が淡谷のり子に扮し、泣く子も黙ると言われた東京憲兵隊の葛西中佐から呼びつけられて「時局がら派手な化粧や華美なドレスそしてパーマは禁止」との命令に対して「モンペなんか履いて歌っても誰も喜ばない。化粧やドレスは贅沢ではなく歌手にとって戦闘服だ。」と反論して舞台に立ち続けるのです。「戦意高揚のために軍歌を歌え」との命令にも「戦地の兵隊さんが求めているのは別の歌だ。」と言って“別れのブルース”や“雨のブルース”などの軍部がいう“敵性音楽”を舞台上で次々と歌うのです。お目付け役の東京憲兵隊中村軍曹が、大和田獏扮する淡谷のり子のマネージャー成田茂に対して「命令違反だ!葛西中佐に報告する‼」と詰め寄るのですが、実はこの中村軍曹   大のジャズやシャンソン好きで憲兵隊入隊前は淡谷のり子の出演するダンスホールに毎日のように通ってはうっとりとした目で聞き入っていたというのを見破られてしまいます。その見破られるシーンで自分の憲兵としての使命と実はこのような音楽が大好きなんだ!という心根との葛藤が(少し大げさに思える)セリフのほかに表情とちょっとした仕草で上手に演じられ隠れた名場面と私は感じました。中村軍曹役を演じた岡本篤という俳優は劇団トム・プロジェクト所属でイケメンとは言いかねます(失礼!)が、確かな演技力の持ち主で今後注目しようと思っています。

淡谷のり子を紹介するテレビ番組や自伝などで必ずと言っていいほど取り上げられるエピソードも当然のように演じられていました。終戦直前に鹿児島県の特攻隊の基地に慰問に行った際、基地司令官から「舞台開演中でも作戦の都合上出撃させねばならないことがある。その時はその者だけそっと観客席から出て行かせるから気にしないように」と言われ、実際に他の兵隊達と一緒に観客席に座って喰い入るように舞台を観ていたまだ20歳にもならない一人の若い飛行兵が出撃命令を受けて舞台上に目礼をして静かに去って行くのを目にした淡谷のり子が号泣するのです。

鹿児島の基地から飛び立った重い爆弾を抱えた特攻機が目的地の敵艦隊が遊弋(ゆうよく)する沖縄海域まで(無事にたどり着けたとして)約3時間かかるのだそうです。観客席から去っていった飛行兵は、間違いなく3時間以内に死ぬことになっているのです。この少年飛行兵はもう少しだけ舞台を観ていたいとどれだけ切望したことか。もしかすると、故郷へ帰りたい! 死にたくない‼ トーチャンカーチャン助けてくれーと心の中で泣き叫んでいたかもしれません。昭和20年当時38歳だった淡谷のり子にとって自分の息子と言ってもいいぐらいの若いあどけなさの残る少年達だったに違いありません。主演の戸田恵子はこれを見事に演じ切りました。去っていく少年を舞台上のマイクの前から目で追い、歌えなくなってやがて大粒の涙と共に号泣するシーンは、実際もかくやと思えるほどに迫真の演技でした。このお芝居のハイライトシーンです。

昭和20年8月15日の終戦の日を鹿児島の慰問先の基地で迎えた淡谷のり子は、嘆き悲しんで呆然とするかと思いきや「あーあっ、これで又好きな歌が存分に歌える!」と前向きに喜び、戦争中歌うことのできなかったリリー・マルレーン(当時ヨーロッパで大流行したドイツの歌謡曲で、戦場で恋人を思う切ない心情が歌われ、日本では戦争中当然歌うことができなかった。)を嬉しそうに歌って幕となります。顔立ちと歌声は全くと言っていいほど淡谷のり子には似ていませんでしたが、戸田恵子の代表作と言っても過言ではないほどの素晴らしいお芝居でした。

思えば今の日本はなんていい国なんですかね。“会社やなにかの都合でしょうがなくて・・・・”というのはあるのでしょうが、国家から自分の意に絶対沿わないことを強制されることは皆無です。そういえばボーイッシュないでたちで人生の応援歌を多く歌ってきた歌手の水前寺清子が昔何かの対談番組で「愛だ!恋だ‼というのもホントは歌いたいんですけどねー。」と少し苦笑しながら言うのを聞いたことがありますが、“自分の意に沿わない”といってもこの程度なんです。

今、韓国の平昌で冬季オリンピックが開幕中で、何の関連があるのかよくわかりませんが北朝鮮から音楽関係の芸術団がやって来て韓国内で公演をやっているのだとか。彼ら彼女らが北朝鮮で国威発揚・戦意高揚の歌ばかりを歌っている姿が時々ニュース報道で流れますが、みんなが皆等しく本心でそのような歌を歌いたくて音楽活動をしているのかどうかは不明です。もしかすると淡谷のり子のような反骨の芸能人も(表には出ないでしょうが)北朝鮮にも存在するかもしれません。何十年か後に北朝鮮でも今回の「Sing a Song」のようなお芝居が演じられる時代が来るといいなと、珍しく政治的な思いが一瞬頭をよぎって下北沢本多劇場を後にしたのでした。