平成30年6月の三越劇場は劇団新派公演、江戸川乱歩の「黒蜥蜴(くろとかげ)」でした。この小説は昭和9年月刊誌“日の出”に1年にわたって連載され美貌の女賊“黒蜥蜴”と敏腕私立探偵明智小五郎が対決する物語で、乱歩特有のエロ・グロそしてトリックとアクションが随所にちりばめられて人気を博したといいます。

この小説は映画やテレビドラマそして舞台でも人気で、昭和37年京マチ子主演、昭和44年丸山明宏主演で映画化、また舞台では初代水谷八重子・丸山明宏・小川真由美・坂東玉三郎・松坂慶子・麻美れい・浅野ゆう子・河合雪之丞らが黒蜥蜴を演じています。 

原作の物語りは宝石などの「美しいもの」を手に入れようとする黒蜥蜴が、銀座のとある廃ビルで繰り広げられた狂騒の宴で、全裸で左腕に彫られた黒い蜥蜴の刺青(いれずみ)を妖しく蠢かしながら「恥知らずの舞踏」を踊るところから始まります。昭和9年当時の読者にとってはなかなかに衝撃的なプロローグだったに違いありません。

その後黒蜥蜴は大阪の宝石商岩瀬庄兵衛の愛娘早苗を誘拐し身代金として“国宝級”の宝石である「エジプトの星」をまんまと奪い去り、自分の船で東京湾に浮かぶ島にある秘密のアジトに逃げようとしますがその船には明智小五郎がすでに忍び込んでいます。そのアジトには “美しいもの”が数々並べられており、そこに「エジプトの星」をコレクションとして加えてこれを彼女はうっとりと眺めます。さらにその奥には“恐怖美術館”というものがあり、そこには黒蜥蜴が考える“美しいもの”のひとつとして若い男女の全裸の剥製(生人形)が並べられているのです。しかし船の中で自分の手で葬り去ったと思っていた明智小五郎がアジトに突然現れ、明智と警察にとうとう追い詰められた黒蜥蜴は手下による必死の防戦も空しくついに毒をあおって死ぬという、まさにエロ・グロ・トリック・アクション満載の通快娯楽活劇が幕となります。戦前戦後の読者が熱狂したのもうなずけます。 

さて6月の三越劇場での舞台です。黒蜥蜴は歌舞伎界から新派に転じた元市川春猿の河合雪之丞が勤め、ライバル明智小五郎はやはり歌舞伎界から新派に転じた元市川月之介の喜多村緑郎が演じました。私はこの舞台に備えて江戸川乱歩の小説「黒蜥蜴」を文庫本で再度読み返し細かいところを頭に入れて観劇に臨みました。おおむね原作に沿って舞台は進行していましたが、「恥知らずの舞踏」は(残念ながらというべきか)きちんとドレスを身にまとって踊っていました(当たり前か)。又どういうわけか宝石の名前が原作の「エジプトの星」ではなく「クレオパトラの涙」に変わっていたり、原作には登場しない岩瀬夫人がコミカルなセリフを吐いて観客の笑いをとったりしてはいました。

脚本・演出は斎藤雅文ですが、脚色・潤色という名の下に原作の書き換えはドラマでも映画でもそして舞台でも日常茶飯に行われています。私は「黒蜥蜴」の舞台を平成24年浅野ゆう子主演、平成29年河合雪之丞主演、そして今回と三度見ておりますが、全部黒蜥蜴と 明智小五郎のラブロマンスに主眼が置かれてしまい江戸川乱歩らしさが(特に舞台後半)急速に失われていくような気がして乱歩ファンとしては少し違和感を覚えました。確かに男女の好敵手同士ですからほのかな好意はある意味ある部分互いに持ち合ったかもしれませんが、少なくとも江戸川乱歩の原作ではそれが愛情にまで発展することはありませんでした。これは幼いころから江戸川乱歩の大ファンだった作家三島由紀夫が戯曲化する際に「女賊黒蜥蜴と明智小五郎との恋愛を前面に押し出して劇の主軸にした」と言われていてその後の脚本家もこれを踏襲したものと思われますが、私的には昭和初期の香りを失わないためにも乱歩オリジナルをもう少し尊重したほうがいいのではと考えています。 

さらに原作では恐怖美術館には若い男女の剥製のほかに、舞台ではこれに加えて黒蜥蜴の両親と幼い兄弟の剥製まで展示されているのです。原作には両親の剥製の記述はありませんが、演出家はラストシーンでさらなるインパクトを狙ったものと思われるもののこれはちょっとやりすぎかもと感じました。因みに昭和43年の舞台では脚本を手掛けた三島由紀夫本人が、千秋楽にラストシーン剥製役(?)で出演したそうです。このシーンはほんの数分ですが生身の人間が数分とはいえ立ち姿で全く動かないというのはかなり困難だっただろうと同情したくなります。実際新派の舞台でもピクリとも動くはずのない人間の剥製がやはり微妙に揺れていたのが観客席からもはっきりと見て取れましたから。