「砂の器」 その二 

映画版「砂の器」にはもう一つ原作にはないシーンがあります。それは心優しい三木謙一巡査が本浦千代吉をライ病患者の療養施設に入れるために馬車に乗せて駐在所を去る際(原作では昭和13年ごろの設定で、映画では戦争たけなわの昭和19年ごろの設定)に幼い秀夫が駐在所の影から悲しげな眼で見送るのです。馬車が見えなくなった時とうとう矢も楯もたまらなくなった秀夫が走って追いかけて国鉄亀嵩駅のホームで汽車を待っていた父親千代吉に抱き着き人目もはばからず二人で号泣するシーンです。観客の涙を誘うところですが原作者の松本清張はこのような安っぽい“お涙頂戴”の場面は書くはずがない(他の小説を読んでも、このような場面はありません)と思われるので、映画としてはいい場面なんでしょうけれど清張のイメージが損なわれたようでここだけちょっと違和感を覚えました。やはり映画屋さんの発想なのでしょうかね。

このような箇所が多少あるものの、この昭和49年の映画「砂の器」は監督や演出家による原作の脚色・書き換えが大成功を収めた珍しい例だと私は考えています。 

映画のヒットもあって「砂の器」はその後4回テレビドラマ化されます。昭和52年仲代達矢・田村正和主演、平成3年田中邦衛・佐藤浩市主演、平成16年渡辺謙・中居正広主演そして平成23年小林薫・玉木宏主演です。映画と違って時間的制約が少ない連続テレビドラマは原作を丹念に再現することができるはずですが、演出家による現代風にアレンジした脚色・書き換えも多く、時々“アレッ違うよ、ここは!”と思うことも少なくありませんでした。

その最たるものは、本浦千代吉・秀夫親子が放浪の旅に出ざるを得なかった理由です。原作と映画では千代吉がライ病を患ったせいとしていますが、その後のテレビドラマでは千代吉の単なる精神病や殺人のせいで村を捨て放浪の旅に出ることに書き換えられています。おそらく今でもライ病に苦しむ患者やその全国団体などに気をつかったものと思われますが、やはりここはライ病のせいでなければ全国放浪の旅に出る理由が弱いような気がします。

江戸時代から昭和の初めごろまでライ病患者に対する差別や偏見は尋常ではなかったと言われています。私が生まれ育った町でもライ病患者本人のみならず、遺伝の病と思われていたのでしょうかその一族すらも“〇〇の○○”と呼ばれて就職や結婚などの面でかなり差別されたと聞いています。しかしそれも昭和30年代ごろまででしょうか、その後はまったくと言っていいほど耳にすることはなくなりました。しかし戦前から戦後のある時期までは間違いなくそのような差別・偏見は存在したのです。特効薬もないままこの業病を信仰の力によって直そうと考える患者や家族も多く存在し、全国にある霊験あらたかな神社・仏閣に平癒祈願を続けるということも少なくなかった(これを非科学的と笑うことはできません。)と言われます。映画の中でも寒風吹きすさぶ中、海辺に建つ小さな神社に必死で祈る千代吉と秀夫の姿が映し出されています。もしかすると家族から「全国の神社を回れば、ご利益でこの病が治るかもしれない。」と聞かされ巡礼衣装と共にわずかなお金を持たされて(厄介払いの形でと言ったら語弊があるでしょうか)送り出され、悲惨な流浪の末に亡くなったということもあったのかもしれません。実際にそのような類いの話を子供の頃に聞いた覚えがあるような気がします。

これらの事実を踏まえて松本清張は千代吉をライ病患者に設定して、小説の中であてのない放浪の旅に出したのです。単なる精神病や殺人犯であれば他所の街に移り住んで定住すればいいだけの話で、幼い子供を連れて辛い放浪の旅に出る必要はないのです。ただ清張の原作では細かいライ病の記述はほとんどありません。映画では千代吉の住まいする村の人たちがお金を出し合って千代吉親子を村から送り出した設定にしていますが、原作では石もて追われるごとく村を出て行くのです。 

昭和49年の映画化以降の「砂の器」のテレビドラマは全部一本も欠かさず見ましたが、すべてのドラマで千代吉をライ病患者の設定にしなかったのはいろいろな問題はあったのでしょうが残念としか言いようがありません。その中で平成16年の和賀英良役の中居正広の演技が秀逸だったように思います。アイドルグループの長で近年はバラエティ番組の司会を多くこなす彼にはその当時それほど注目はしていなかったのですがこのドラマで和賀英良の暗い悲しみとギラギラ感が大いに伝わってきて驚くくらいの好演でした。人気スターの木村拓哉などより演技力ははるかに勝っていると思いますが、なぜかあんまり俳優をやりませんね、彼は。もしかすると中居クンご本人は(歌手よりも司会業よりも)俳優の才能が自身にあるということに気が付いていないのかも?(オッとオーキナお世話ですね。) 

誰のせいでもない業病を患った父親千代吉のためにみじめな幼少時代を過ごさねばならなかった本浦秀夫は戸籍を偽造し和賀英良に成りすまし努力と天分に恵まれたか音楽家として成功し(始め)ます。そこへ突然自分の悲惨な過去を知る三木謙一元巡査が現れ、和賀英良の戸籍偽造やその出自が露見するのを恐れて三木元巡査を惨殺するのは動機としてわかるような気がします。「これからなんだ!これからバラ色の未来が待っているんだ‼三木さん何で今更現れるんだ!!!消えてくれれば…」と、とっさに思ったとしても不思議はありません。それほど悲惨な過去を乗り越えて和賀英良こと本浦秀夫は栄光をつかみかけていたのです。その心中も察するに余りあります。

一方の三木元巡査は、原作では旅行先の映画館で偶然昔世話をした本浦秀夫の写真を見つけしかも著名な音楽家になっていることに喜び、懐かしさのあまり何の他意もなくただその一心で和賀英良に東京まで会いに行ったのです。この時点で千代吉はとっくに亡くなっています。しかし映画ではライ病療養所で生きている設定の千代吉と三木元巡査がずっと文通を重ね千代吉が生死不明の息子秀夫に「会いたい、会いたい」と何度も手紙に書いてあったために三木元巡査は二回和賀英良に会い、「療養所に来て父親千代吉に会ってくれ」と強い口調で懇願するのです。そして「仕事に支障をきたす。」と言って応じなかった和賀に惨殺されます。

映画のこの脚色のように一ひねり二ひねりする必要はなく原作通りあっさりと突然自分の前に現れた三木元巡査に慌てふためいた和賀英良がとっさに殺してしまったとした方が自然な感じがするような気がします。 

松本清張の傑作「砂の器」は今でも文庫本ながら容易に安価に入手でき、またDVDも同様です。小説とDVD両方を見るのが、和賀英良の悲しみをよく感じられまた感動も深いものと思います。是非ご覧になることをお勧めします。 

追記:このエッセイを掲載する日に加藤剛さんが満80歳で平成30年6月18日亡くなられていたことが公表されました。心からご冥福をお祈りします。