平成3012月の観劇納めは新橋演舞場の渡辺えり・キムラ緑子主演喜劇「有頂天団地」でした。“有頂天シリーズ”第三作目のこの作品は、前作・前前作の復讐劇とは違って原作者の小幡欣治が「ごく平凡な家庭の、ごく平凡な日常の出来事を、あまり複雑な事件を設定しないで書いてみた。」とその作品構想を述べたとおりの展開で、ありふれた行動や考えが時として予期しない方向にぶれていって本人にとっては重大事件に感じられることのちょっとした恐怖と可笑しみ(おかしみ)をわかりやすく表現した興味深いお芝居でした。 

あらすじは、昭和50年代初め郊外の住宅地の一角にミニ開発で6件の小さな建売住宅が建ち(長期のローンを組んでやっとの思いで)そこに入居した人達は新しい暮らしを満喫しながらも見栄を張り合います。亭主が外国航路の花形船員で海外に行っているはずが実は国内の貨物船会社のしがない事務員だったり、帝国ホテル勤務のエリートサラリーマンのはずが実は「大帝国」というラブホテルの従業員だったりという具合です。そして新しい6軒の入居者たちは古くからこの地に住む裕福な(と、おぼしき)家庭のご隠居さんに“風紀粛清”の名目で洗濯物の干し方やゴミの出し方など新参者を見下すように散々嫌味を言われてしまいます。そこに新たなミニ開発でもう2軒の建売住宅が建つことになり、すったもんだの末に入居したこの新しい2軒の住人に対して先住の6軒の住人たちが今度は自分たちがされたように“風紀粛清”の名目で“新たな新参者”に対して細々(こまごま)と注文を付けるところで幕となります。

手練れ(てだれ)の渡辺えりとキムラ緑子がお芝居を引っ張るのですから観客席はもう爆笑の連続ですが、私が驚いたのはかなり太っている渡辺えりの体のキレの良さです。ダンスを踊るシーンがあったのですがプロはだしでこれだけでも十分お客さんの目を引き付けることができそうだと感心しました。 

私はこのお芝居を見て何百年と続いてきたであろう“姑による嫁いびり”の連鎖を思い浮かべました。自分が嫁いだばかりの時に姑から受けた辛い仕打ちは自分の息子の嫁にだけはしないぞ!とはどうも考えないもののようで、自分が辛い仕打ちを受けたんだから今度はその仕返しに…という行動に出がちなんでしょうかね。

同じようなパターンですが、有名な避暑地Kでも新しい住人を成り上り者と軽蔑する先住の(今ではあまりフトコロ事情のよくない)人達の嘆きのつぶやきが何十年も前から繰り返し語られているのが、傍から見ていると滑稽ですらありますね。根底には自分たちは特別な存在であってよそ者が入り込むことを好まないムラ社会的な発想があるのでしょうか。 

昨今、東京港区の表参道に児童相談所建設を巡って騒動が持ち上がっているそうです。超高級街の表参道に児相建設なぞとんでもない!と、その地区の住人が港区による説明会の席上で(品のない)主張を怒号交じりでぶつけたのです。週刊誌やテレビの報道でご存知の方も多いと思いますが、彼ら彼女らの言い分は(児相の相談者イコール貧乏人・厄介者と決めつけるのもあまりに短絡的と思うのですが)児相が建つことによって自分たちの住む土地の価値が下がる、治安が悪化する、なんで一等地青山にそんな施設をつくるんだ、我々を愚弄するのか!などの感情論のほかに、「ネギ一つ買うのにも紀ノ国屋に行きますのよ、生活困窮者にとって大変じゃあないですか。」とか「青山周辺のランチ単価知ってますか、1600円位“も”するんですよ。」とか「田町とか広いところいっぱいあるじゃないか。」などなどなど、笑っちゃうぐらい沢山の建設反対意見が飛び出しました。

「イヤー私はキノクニヤというのは本を売るトコロだと思ってましたがネギも売ってるんですね、ビックリ!」と冗談交じりにある方に言ったら「紀ノ国屋というのは昭和2812月に日本初のスーパーマーケットとして青山にできたスーパーのことで紀伊国屋書店とは違うんです。」と言われてしまいました。アハハ、こんな私が表参道に住まいする・会計事務所を構えるなぞと言ったら住民こぞって反対運動が起きるんでしょうかね。

お芝居のネタになりそうな話です。私が戯曲作家だったら喜劇“有頂天児相”というそのものズバリの題名で次のようなストーリーにします。

世界的なブランドショップの立ち並ぶお洒落な街に児童相談所建設の話が持ち上がり、自分たちは裕福だと思っている住民たちが差別意識を芬々(ふんぷん)とさせて貧乏人を見下すような表現で反対の主張を繰り広げたものの結局区役所に押し切られて児相が建ってしまいます。

10年後その当時に口汚く児相建設に猛反対した住人が、豪華(そうに見えるよう)な毛皮のコートをまとい両手には巨大(だが安っぽそう)な指輪をいっぱいつけたいでたちでその児相に疲れ切った顔をしながら相談に訪れます。自分の子供が非行に走ってしまいどういたしましょう と。そしてその相談を進める中で、10年前の嘘にまみれた自身の虚飾の化けの皮が一枚一枚はがれていくというものです。

三谷幸喜さんあたりに、こんな筋立ての脚本を書いてもらえないもんですかね。