とうとう私もヅカデビュー!を果たしてしまいました。以前“ぱあと69”でご紹介した整形外科医の先生にチケットをお取りいただき、令和18月の雪組公演「壬生義士伝」をお盆明けに東京宝塚劇場で堪能してきたのでした。

原作は平成10年作家浅田次郎が週刊文春に連載したもので、粗筋は、幕末に貧しい岩手南部藩の足軽吉村貫一郎が貧苦にあえぐ家族を養うために脱藩して新選組に入隊します。そして危険な任務も厭わず人を斬ることで得た手当を故郷の家族に送金し続けて同僚から守銭奴・出稼ぎ侍と蔑まれながらもやがて信頼を勝ち得そして一目置かれる存在になります。しかし世の流れはすでに徳川幕府から新政府に移り慶応41月幕府軍と新選組は鳥羽伏見の戦いに敗れ吉村貫一郎も深手を負います。南部藩大坂屋敷によろめきながらやっとの思いで辿り着いた貫一郎は南部藩への帰藩を願い出るも、幼馴染で今は重役の大野次郎右衛門から「切腹しろ。」と冷たく言われてしまいます。敗残の新選組隊士を匿うことは南部藩にとって新政府からにらまれることになるため、幼馴染といえども藩を預かる大野としてはそう言わざるを得なかったのです。その苦衷も察するに余りありますが、やがて貫一郎は息絶えるのです。

私は平成14年正月に渡辺謙主演の長時間時代劇ドラマ、中井貴一主演の映画そして総計800ページにもなろうかという原作本も読んで涙が流れるほどの感動的なストーリーはすっかり頭に入っています。この“壬生義士伝”を宝塚歌劇として公演されるというのを聞いて当初こんな骨太の小説をタカラジェンヌが演じ切れるものかと少しならず懐疑的に思っていました。しかも上演時間はわずか1時間半ほどということであの長編小説を到底描き切れないだろうと悲観的に考えていましたが脚本・演出を手掛けた石田昌也さんの力量でしょうか、原作の要所要所を寸劇風に仕立て上げてそれをつなぎ合わせることで見事に描き切りました。しかも平和な明治の御代になってから舞踏場の鹿鳴館(ろくめいかん)に今は夫婦となった吉村貫一郎の娘で看護婦のみつと大野次郎右衛門の息子で立派な医者になった千秋を登場させ、さらに新選組の生き残り隊士も二人加えて往時を回想することで観客に分かりやすく説明を行う形にしていたのです。これは上手な演出です。全部で24場ある舞台でこの鹿鳴館の回想場面は(原作にはないのですが)4場もあり、長い物語もこの往時回想のセリフで観客は十分イメージを頭に入れることができたのです。南部藩大坂屋敷で遂に絶命する貫一郎最期の場面では(芝居前はかなり懐疑的に思っていた自分を恥じながら)今回も涙が流れて仕方がありませんでした。

主役の吉村貫一郎を演じたのが雪組トップの望海風斗(のぞみふうと)で貫一郎の妻しづと娘みつの二役を演じたのが真彩希帆(まあやきほ)でしたが、当然私は全く知りません。きっとヅカファンからすると目も眩むようなキャストだったに違いありませんが、私にとっては猫に小判状態ではありました。ヅカガールはみんなおんなじ顔に見えると言ったらお叱りを受けるかもしれませんが、実は主演も含めてあんまり見分けがつきません。望海さん真彩さん、今後注目しますのでごめんなさいね。

ところでタカラジェンヌによる芝居そのもの素晴らしくよかったのですが違和感を覚えたのが二つあり、その一つが新選組隊士によるチャンバラシーンです。舞台では声も姿もすっかり男に見えましたが、やはりそこは女性のことで殺陣(たて)が今一つ力強さに欠けて迫力を感じられませんでした。

もう一つは岩手弁です。方言を舞台で使うのは極めて難しいもので、私は東北人だからよくわかるのですが宮城の方言と岩手の方言は全く違います。もちろん青森も秋田も山形も福島の方言も全く違うのですが、演出家の方は東北弁と一括りにしているのではないかとすら思える如くです。あの舞台に立ったタカラジェンヌの中にはきっと東北出身者も少なからずいたものと思われますが、どの方のセリフも岩手弁には聞こえませんでした。感謝の意思を伝える時に劇中で「おもさげながんす。」というセリフが何度も出てきますが、これは「お申し訳ないことでございます。」がなまっての表現なのでこのセリフをしゃべる時には「お・も・さ・げ・な・が・ん・す」と表的に言うのではなく「お申し訳ないことでございます。」をベースにいわば表的に言うべきだと思うのです。残念ながらそのように発声した方はいませんでした。日本語をあまり理解しない外国人タレントがローマ字でカラオケの歌詞を覚えて意味を理解せず表音的に歌うのと一緒だと言ったら言い過ぎでしょうか。まあ東北弁だなとわかればいいので、あまりリアルさを追求する必要はないのは言うまでもないことですが。

さて生まれて初めて入った東京宝塚劇場です。期待にたがわぬ豪華な劇場で、さらに当然のように観客はほとんどが女性です。しかもお母さんに連れられた幼女から90歳をはるかに超えたであろうスーパーオールドレディまで全年代層をカバーしたほかに女優かと見まがうような見目麗しい方からオバちゃんやキャリアウーマンと思しき方々などなどあらゆる女性の見本市の中を歩くような気がしてちょっと嬉しかったです。(問題発言と感じられたならどうかお許しくださいませ。ホントにそう感じたんです。)阪急電鉄の創始者小林一三が大正2年(1913年)に結成した宝塚歌劇団はその100年を超える歴史と共にあらゆる年代やジャンルの女性に支持され熱狂的なファンが数多く存在するということを目の当たりにすることができてちょっと感動すらしてしまいました。

宝塚歌劇と言えば以前は学芸会のようなイロモノ的なイメージを少し持っていたのですが、実際に体験してみてその素晴らしさを充分感じることができました。良席をお取りいただいた整形外科医の先生に感謝です。今後機会があれば是非再度観劇したいと考えています。まあ、「あなたには全く似合わないね!」と言われそうですがね。