( “父の詫び状” その三 )

昭和61NHKで深町幸男演出、ジェームス三木脚本による“父の詫び状”がテレビドラマとして放映され、今でもDVDで容易に入手することができます。

このテレビドラマ版“父の詫び状”は平成74月サンシャイン劇場でのお芝居と同じ深町幸男演出(脚本は金子成人)ながら大きく異なった筋立てになっており主演の杉浦直樹以外は別の俳優が演じしかもドラマの登場人物の名前も中牟田(なかむた)時雄ではなく田向(たむかい)征一郎となっていて随分と違う印象です。

ドラマの幕開けは対アメリカ・イギリスとの戦争1年半余り前の昭和153月田向征一郎(杉浦直樹)が娘の田向恭子(長谷川真弓)の高等女学校編入試験を代わりに受けるという奇妙で滑稽な夢の場面から始まります。そして戦前の普通の家庭の何気ない日常風景を描写し、一家の主である田向征一郎は昔芸者だった母親千代(沢村貞子)とは口をきかないどころかわざと辛く当たり、己にも家族にも厳しく接して暴君のように振舞うのはお芝居と当然同じです。

娘の恭子はご飯のおこげが大好きでおばあちゃんの千代におこげご飯をねだるシーンがあります。電気釜が普及するようになっておこげは姿を消しましたが薪を使ってお釜で炊くご飯には必ずと言っていいほど底の方にこびりついたおこげがあるのが当たり前でした。これがちょっと醤油煎餅のような味がしておいしかったのです。

それから当時どこの家庭でも普通に使われていた湯たんぽのシーンも登場します。朝になるとそのぬるくなったお湯で顔を洗うのですが、豆炭あんかや電気毛布が出回るようになると急速に姿を消してしまいました。

また恭子の弟の武が相撲大会に出場してそれを夢中で応援している所に征一郎がやってきて家に連れ返し恭子を殴りつけます。驚いて止めに入った妻しのぶ(吉村実子)が理由を聞くと「男の裸を喜んで見ていたんだ!」と怒鳴ります。

お芝居では小学生の息子の友達富迫君がTVドラマでは中富君として登場し、この子を可愛がった田向征一郎が一緒にハイキングに連れて行くシーンがあります。そして貧苦の中母親が死んで遠くの親戚の家(TVドラマでは宮城県の叔母さんの家)に引き取られることになるのは同じですが、田向家にあいさつに来て最初は「少年戦車兵になります。」と言っていたのがやがて「医者になります。」と心情を吐露し田向家のおばあちゃん千代からなけなしのビスケットをちり紙にくるんでもらうシーンはこのTVドラマにはありませんでした。感動的なシーンだと思うんですが、脚本家金子成人が創作したシーンだからジェームス三木の脚本では使えなかったんでしょう。

テレビドラマでもナレーション(岸本加代世子)を効果的に使っていたのはお芝居と同様です。親戚の家に引き取られた中富君を「手紙はついに来ませんでした。それ以来中富君は消息不明となりました。」という簡単なナレーションが、かえってその後の中富君のさらに辛く厳しい日々を暗示しているかのようでした。

田向征一郎の母親千代が年をとっても近所の橋本老人(殿山泰司)と親しくするのが征一郎には嫌でたまりません。母親とは口をきかない征一郎が「誰と一緒にいたんだ!」と直接千代に向かって詰(なじ)ることができないので妻しのぶに向かってそう聞くよう怒鳴ります。同じ部屋で征一郎と千代の間に割って入ったしのぶがオロオロしながら会話を取り次ぐのは滑稽でした。千代役を演じた沢村貞子は明治41年生まれで父親は狂言作者、実兄は四代目沢村国太郎、実弟は俳優加藤大介という芸能一家です。元芸者の雰囲気と貫録を出すのはお手のもので息子征一郎の詰問に“あーあ知られちゃったか、しょうがないね”という心の内をちょっとした目の動きや仕草で表現して泰然としています。上手い!としか言いようがありません。

また征一郎役を演じた杉浦直樹は尊敬する芥川比呂志から「君は、役に浸透され棲まわれてしまうコメディアンになるべきだ。(私には意味不明ですが杉浦直樹ご本人の弁です。)」と言われたそうで、当初は結構コメディチックな役柄を演じていた時期もありましたが、後年はシリアスな役が多かったように思います。薄くなった髪を無理に引き延ばすようにしたのもちょっと可笑しみを誘います。“暴君”というのは“裸の王様”の様に時としてその振る舞いが傍から見ると滑稽に映る場合が多いようです。この“父の詫び状”にはお芝居もテレビドラマも主人公による乱暴なシーンの中に何故かクスリと笑ってしまうような場面がいくつもあります。多くの人に愛される作品の理由の一つにあげられそうです。

千代が寒い2月に倒れ、床につきます。征一郎は会社から帰ると無言で千代の病床の前に座ります。孫の恭子が千代と口をきかないそんな父親を嘆くと千代が「しょうがないんだよ、おばあちゃんが悪いんだ。」と懺悔とも取れるセリフを吐きます。さらに「すまないね、みんなに迷惑かけちゃって」とも続け、特に征一郎に対してだと思うのですがお詫びの言葉を発します。やがて千代が亡くなり、お通夜の晩、征一郎が勤務する保険会社の社長が焼香に来た時ひれ伏すようにお辞儀するのはお芝居と同じです。この場面はドラマであろうとお芝居であろうと外せません。

そしてナレーション「それはお辞儀というより平伏であった。私はこういう父の姿をはじめて見た。家族にはあれほど暴君である父がこの姿で戦ってきたのだ。私は今でもこの夜の父を思い出すと胸が疼くのである。」

“その一”にも同じ文章を書きましたがあまりに感動的なので再掲しました。お芝居の時の娘史子を演じた長谷川真弓のナレーションよりもテレビドラマで担当した岸本加世子のナレーションの方が胸に迫って数段上手だったような気がします。そしてナレーションは続きます。「私は父を許そうと思った。八つ当たりのゲンコツも、夕食のおかずが私たちより一品多いことも。」家族を養うということがどんなにか大変なことかを15歳の娘が理解したのでした。

「一人去り 二人去りして 仏と二人」という川柳があります。お通夜の晩、夜も更けて弔問客もみな帰り家族もそれぞれ布団に入ってそれまである意味賑やかだった祭壇の前にはとうとう自分一人になってしまったのを詠んだものです。静かな寂しさの中にも“やっと二人きりになれたね”という安堵の気持ちも含まれているような気がします。母親千代の遺影と遺骸の前には征一郎一人だけとなり、その時「おっかさーん」と絞り出すような声が征一郎の口から小さくもれます。“その二”に書いたのですが征一郎はとっくに母親を許し、受け入れていたのです。

お芝居にはありませんでしたが征一郎が千代の骨箱を抱えて汽車に乗り千代の故郷に納骨に向かうシーンがTVドラマにはありました。短いワンカットでしたがいいシーンでした。

そして最後のナレーション「父から届いた形式的な手紙の最後に“この度は格別のお働きご苦労”とありました。」