古典落語の名作の一つに“芝浜”というのがあります。明治期の名人三遊亭圓朝の作とも伝わりますが定かではないようです。

粗筋は魚売りの勝が酒好きで仕事に身が入らず貧乏暮らし。女房が何とか拝み倒して仕事に行ってもらったところ勝が42両という大金の入った財布を拾ったので有頂天になり仲間を集めてどんちゃん騒ぎ。しかし女房から財布を拾ったのは夢だ、実際には拾っていないと言われ勝は愕然とするが、そこから心を入れ替え酒を断って必死に働き、三年後とうとう表通りに魚屋の店を構えるまでになる。そしてその年の大晦日、女房は勝に真相を語る。拾った42両は夢ではなかった。金を手にした時、これで一時(いっとき)は楽できるがお上から詮議があれば盗んだことがすぐばれ重い刑罰が下される。長屋の大家さんと相談した結果泥酔に乗じて夢で拾ったことにしてなんとか勝を言いくるめ、金はお上に届け出たのだ。そして落とし主が現れなかったために拾い主の勝に財布の金がお下げ渡しになったのである。そのことを告げられた勝は怒るどころか道を踏み外しそうになった自分を救ってくれた女房に感謝をし、女房は久しぶりに勝に酒を勧める。盃を口まで運んで飲もうとする勝が一言「やめておこう、また夢になるといけねえ。」

平成19年2月病気から復帰した先代(五代目)三遊亭円楽師匠(平成21年76歳で没)が最初に口演したのもこの“芝浜”でしたが(半年前から稽古に励んで高座に望んだものの)うまくいかなかったようでその後落語を高座で語ることは一切なくなりました。それほど難しい大ネタとも呼ばれる噺です。昔から名人上手がみんな手掛けた話でもありますが、どの人のを聞いてもそれぞれの噺家さんの個性が出て面白い噺です。

笑点でおなじみの林家たい平師匠がこの大ネタを芝浜の会と称して毎年23年の長きにわたって連続演じ続けています。令和1年の今年は12月東京芸術劇場の満員のお客さんを前にして演じました。23年間すっかりおんなじ話に仕上げるのではありません。登場人物のキャラクターや設定を微妙に変えたり自分の工夫を加えたりして毎年違う印象の噺に仕上げるのです。そのため同じ“芝浜”という演目ながら何度聞いても飽きないのです。

私は昨年初めてたい平師匠の“芝浜”を聞いて今年は二回目でしたが、今回はこの会の前座をたい平師匠のご長男で大学を出て落語家になったばかりの林家さく平さんが勤めました。その後たい平師匠の一番弟子の林家あずみさんが三味線漫談で俗曲などを披露してからたい平師匠が“明烏(あけがらす)”を演じ、続けて“芝浜”を熱演しました。

笑点に出演している落語家さんたちは笑点の話をすると間違いなく観客の爆笑を買うことができるのでほとんどの人が笑点の噺に時間を割きます。しかし落語ファンは落語を聞きに来ているのであって漫談を聞きに来ているわけではありませんから、私は少し違和感を覚えます。今回たい平師匠は笑点の話題をほとんど出すことなく純粋に“明烏”と“芝浜”という落語で勝負をした如くで大変好感を持ちました。

落語には本題に入る前に“まくら”という時事問題や日常の何気ない風景・失敗談などから笑いを取り観客の心をつかんで噺に入るのが常ですが、最後の“落ち”に入る解説もちりばめられていることも多く“まくら”は重要な落語の前振りです。

たい平師匠のお父さんが今年6月に亡くなられたのだそうですが、たい平師匠(本名 田鹿明さん)が武蔵野美術大学を卒業する際に「落語家になる。」と家族に告げた時にただ一人そのお父さんだけが猛反対した(これは知っておりました。)のだそうです。ところが亡くなる直前にお父さんから「息子が落語家になるのを家族全員で賛成して送り出すより一人ぐらい反対する者がいたほうが、なにくそ!という反発心が湧いてかえっていいんじゃないかと考えて反対(するふりを)した。」というのを聞いて、そこまで自分のことを思ってくれていたのかと涙したという話を“明烏(この噺も子を思う親御さんの心が題材になっています。)”のまくらに使っておりました。多くの観客は“ああいい話だな!”と思いながら聞いていたはずですが、私は震えるような衝撃をもってこの話を受け止めたのです。観客席が暗く隣のお客さんに大粒の涙を流しているのを気付かれなかったのは幸運でした。

実は私にも同じ経験があったのです。今から40年以上も前の大学4年の時に「公認会計士になる。」と家族に告げた際、私の父親一人猛反対したのです。曰く「大会社からの就職の誘いが引く手あまたではないか、何を今更受かるかどうかもわからない国家試験に挑戦するんだ。」と色を成して反対します。私も20代前半で血気盛んです。「なんとしても受験する。親の援助は受けない!」と半ば啖呵を切って東京に飛び出したのです。幸い運にも恵まれて試験に受かることができて今日に至っています。これまで父親には孝養を尽くしてきたつもりです。しかし“あの時会計士試験受験に反対してたじゃないか”というごく小さな黒いシミのようなものが心のどこかにあり続けたことは否めません。

今年の“芝浜の会”のたい平師匠のお父様の話を聞いて衝撃を受けたのは、もしかするとうちの父親も私の反発心を促すために敢えて反対するふりをして悪役になるのを承知で私の受験意欲が折れない様(形を変えて)応援しようとしたのではないかと感じたからです。そして実際その通りになりました。“親思う 心に勝る 親心”とか。すべては私の父親のシナリオ通りだったとしたら・・・・。

私の父親もとっくに故人となった今、真相を確かめる術はもうありません。たい平師匠のお父様のこの話を、私の父親の生前中に聞いておけば真相を確かめられたかもしれないなと少し残念に思いながら涙の乾かぬ顔で東京芸術劇場を後にしたのでした。