海軍 1/200 航空母艦飛龍(ウィングクラブ)

海軍 1/200 航空母艦飛龍(ウィングクラブ)

先の太平洋戦争において昭和17年から19年にかけて南方洋上で日本軍航空機と戦うアメリカ軍パイロットは、1ヵ月戦うと次の1ヵ月はオーストラリアで休養し、次の1ヵ月はアメリカ本土に帰って訓練に従事して、万全の体調を整えて又南方洋上で日本軍機と空中戦を行ったのだそうです。このローテーションを守るだけの国力がアメリカにはあったということでしょう。対する日本海軍航空隊の搭乗員はどうかというと、一旦南方に送られると劣悪な環境の中で多くの場合死ぬまで戦い続けねばなりませんでした。日本軍搭乗員とアメリカ軍パイロットの意識と肉体には計り知れない雲泥の差があったことは明らかです。物量と共に最も効率よく戦う術を心得ていたアメリカに、大和魂という空疎な掛け声だけの日本が敗れるのは当たり前だったと思います。

日米の戦争に対する考え方の違いは兵器にも現れます。日本もアメリカも良い飛行機を作ろうと考えたのは当然ですが、良い飛行機とは何かというポリシーに決定的な差があったのです。日本が考える良い飛行機とは経済的であるということでした。つまり機体を軽くして燃費を良くし、攻撃力を増やすということに重点がおかれ防弾は殆ど考慮されませんでした。機体を軽くするために様々な涙ぐましい努力を重ねたのですが、その一つに飛行機の骨組みに沢山の穴をあけたのです。穴をあけた分軽くなるからです。材料も少なくて済みます。機体の強度ひいては搭乗員の安全は二の次三の次という考えだったのでしょう。

アメリカが考える良い飛行機はまずパイロットの安全を優先するというものでした。一人のパイロットを養成し戦場に送り出すまでのコストと、一機の飛行機を作るためのコストを冷静に比較しパイロットの命のほうが遥かに高価であることに気がついていたのです。ですからアメリカの飛行機は頑丈でした。弾丸が命中しても容易に火を噴きません。その他にもパイロットの安全を守るための様々な工夫がなされ、日本軍搭乗員なら当然死んでいたような状況でもアメリカ軍パイロットの多くの命が救われ再び戦場に出ました。

このようにソフト面とハード面において日米どちらが正しかったのかは明らかです。

私は会社経営も全く同じではないかと考えています。会社の従業員に最も効率的に仕事をしてもらうためにはソフト面とハード面をどうしなければならないのかを考え、そしてそれを実践するということは最も重要な経営努力の一つです。従業員を叱咤激励し残業に次ぐ残業を押し付けることが果たして本当にいいことなのかどうか。仕事は大切ですが、仕事が目的化してはならないと思います。仕事は余暇を充実して過ごすための手段と考えるべきではないでしょうか。

8時間集中して効率よく仕事をすれば、アフター5は楽しいことが待っていると思って仕事をしたほうがよりいい知恵も浮かぶし、またいい結果も出せるのではないかと思います。

因みに扇谷会計事務所では(私以外の)従業員は一年を通じて残業を1分もやりません。必ず定時で帰れますから夕食は家族と一緒にとることが出来るのです。3月や5月の最繁忙期ですら残業には頼らずに仕事をこなすことが出来ました。