昭和26年1月に開場した現歌舞伎座がこの月の公演を最後に取壊されてしまう平成22年4月がとうとうやってきてしまいました。開場以来すでに59年余りの歳月が流れていますのでやむをえないこととはいえ東銀座のビル群の中に燦然と輝いていたあの江戸情緒溢れる建物がなくなるのかと思うと寂しいことこの上ありません。

最後の公演の舞台の一つが“実録先代萩”という、ご存知(かどうかは知りませんが)寛文11年(西暦1671年)に起きた伊達藩のお家騒動を題材にしたお芝居でした。
“実録”というからには史実を忠実に演じていると錯覚している観客も少なくないようですが、実際は全くそんなことはなく多少史実も含まれている程度のあくまでもお芝居という名の娯楽なのです。
従っていわゆる名場面と呼ばれるシーンはそのほとんどがフィクションと言っていいのではないかと思います。

「歌舞伎とはありそうもないことをいかにももっともらしく見せる演劇だ。」と定義付けした人がいましたが、一般受けするような虚構をいかに本当らしく観客に見せるかということに作者や演者は知恵を絞るわけですから、百年二百年という単位で芝居や小説そして映画、テレビなどで繰り返し目にするといつしかそれが“ほんとのこと”と錯覚してしまうのは仕方のないことかもしれません。

伊達騒動を題材にしたほとんどのお芝居や小説などは伊達家を守ろうとした忠臣を伊達安芸宗重、お家乗っ取りをたくらんだ側の逆臣を原田甲斐として善玉悪玉をはっきりさせていますが、昭和45年のNHK大河ドラマにもなった山本周五郎原作の“樅の木は残った”では逆に原田甲斐を忠臣(善玉)に仕立て上げたストーリーにしていましたので 伊達安芸宗重の居城のあった涌谷町出身の私は切歯扼腕!ヒフンコーガイ!!しておりました。

後世にたまたまお芝居や小説の題材に取り上げられてそれが大ヒットしたおかげで実績以上の評価を受けてヒーローに祭り上げられるケース(源義経、楠木正成、大石内蔵助、坂本竜馬などなど)やその生涯が劇的となるに至らずあまり取り上げられてもらえなかったせいで功績に値する評価が下されていないケース、そしてストーリーの構成上とことん悪玉にされてしまい何百年もの間その評価が耐え難いほどに不当に悪い人(平清盛、足利尊氏、吉良上野介などなど)がえてしてあるものです。

平成22年3月27日伊豆の下田市で“唐人お吉祭り”が華やかに行われました。“唐人お吉”をご存知でしょうか?江戸時代末期ペリーの黒船来航のあと安政元年(西暦1854年)徳川幕府はそれまでの鎖国をやめて下田が開港され日米和親条約が結ばれます。翌年アメリカ総領事として下田に当時52歳だったタウンゼントハリスが着任するのですが、このハリスに大枚の金と引き換えに妾奉公させられたのが当時17歳だった船大工の娘斎藤吉でした。二年ほどハリスの世話をしたあと芸妓や女髪結い、料亭経営をするもどれもうまくゆかず世間からはアメリカ人の妾、唐人お吉と凄まじい蔑みを受け貧苦の中明治23年3月27日50歳で身投げをしてしまうのです。明治23年の西暦1890年から数えて2010年の今年でちょうど120年になりますのでことさら盛大に“唐人お吉祭り”が執り行われたようです。

平成の御世のアメリカ人の妾ではありません。道徳観も倫理観も現代とは全く異なる江戸時代末期の外国人と接することが全くなかった時代に、普通の娘がアメリカ人の妾になったのです。ハリスのもとを辞したあとのお吉に対する世間の冷たい蔑みの目は想像を絶するものがあったに違いありません。

実は私の両親がまさに“唐人お吉祭り”の当日伊豆下田を旅行しておりました。そして私の祖父が生まれたのがお吉が亡くなった翌月の明治23年4月なので、今年は祖父が生きていれば120歳になるのです。不思議な因縁を感じたか、私の母親がお吉の菩提に多数の参列者とともに焼香をしたとのことでした。私にとって身近な存在だった祖父が生まれるほんの一ヶ月前にお吉が亡くなっていることに今回気がついたのですが、遠い歴史の彼方の女性としか考えていなかった唐人お吉がそれほどの遠い遠い昔の人ではなかったのだということを思い知らされた“お吉120年祭り”でした。

昭和5年作家山本有三がこの唐人お吉を題材にして“女人哀詞”という小説を発表してから一躍お吉の名前が全国に知れ渡ります。それまで故郷の下田はさておきマスコミの発達していなかった当時、下田以外の土地で果たしてどれほどの人がお吉の存在を知っていたのでしょうか。それが“女人哀詞”のおかげでその悲劇的な人生が広く知れ渡り今日に至るまで下田市長や下田には縁もゆかりもない東北宮城県の老婦人にまで焼香されるとは当のお吉本人は予想すらできなかったに違いなく、町おこしのイベントの一つとはいえ苔むした墓石のもと草葉の陰で一人片腹痛い微笑を浮かべているに違いありません。

この“女人哀詞”はテレビドラマや映画そして舞台にも度々取り上げられています。平成7年2月日生劇場で坂東玉三郎主演で公演された女人哀詞を見ましたが、雪降る中落魄のお吉が崩れ落ちるラストシーンが非常に印象的だったのを覚えています。