平成23年12月の新橋演舞場、藤山直美主演の松竹新喜劇「殿様茶屋の恋日和」で通算観劇本数がとうとう1000本になりました。
500本目が平成12年11月の新橋演舞場、三田佳子主演の「智恵子飛ぶ」でした(但し三田佳子はこの時二男の不祥事で降板、片岡京子が代役でした。)から11年余り(134か月)かかっての大台達成は一カ月に平均4本弱のお芝居を見た勘定になり我ながら呆れております。
この11年の間に私が舞台で間近く見ることのできた俳優さんが、たくさん亡くなられています。島田正吾(H16.11.26没)、北村和夫(H19.5.6没)、緒形拳(H20.10.5没)、藤間紫(H21.3.27没)、金田龍之介(H21.3.31没)、山城新伍(H21.8.12没)、藤田まこと(H22.2.17没)、池内淳子(H22.9.26没)そして今年 平成23年も随分と鬼籍に入られました。
正月1月3日には人間国宝で歌舞伎役者の中村富十郎丈、1月14日細川俊之、3月10日坂上二郎、4月21日田中好子、5月21日長門裕之、9月21日杉浦直樹、中村芝翫(なかむらしかん)丈が10月10日、クリスマスの12月24日入川保則、12月25日岩井半四郎丈(仁科亜希子のお父さんです。)です。このような名優たちの演技をほんの数メートルのところで見ることのできた幸せを思わずにはいられません。芝翫丈は当代勘三郎の義父であり新 勘九郎のお祖父さんでもある立派な顔立ちをした人間国宝の女形でした。
芝翫丈で思い出されるのが歌舞伎座公演“真景累ヶ淵”の中から「豊志賀の死」という怪談話でした。この物語は40歳を過ぎた(当時とすれば)大年増の富本節という遊芸の師匠である豊志賀(とよしが)が親子ほども年の離れた若い新吉と恋仲になるのですが、新吉が年齢差のせいで自分から離れていくのではという恐怖から嫉妬に狂い悪い病気に罹って、新吉が娶る女は7人まで取殺すと遺書を書いた上カミソリを使って凄惨な自害をしてしまいます。そしてそこからおどろおどろしい怪談話になるのですが、上演時70歳を過ぎていた芝翫丈が扮した豊志賀の色気と悲しみと恐ろしさが客席まで伝わってくるような素晴らしい舞台でした。
ところで通算観劇999本目がやはり藤山直美主演の「銀のかんざし」という松竹新喜劇でしたが、髪結いの亭主(この言葉はもはや死語になりつつありますね。今の美容院さんは競争が厳しくどこも経営が大変なようです。)を題材にした話です。この喜劇は藤山直美扮する髪結い北原かつとその遥か年下の亭主で坂東薪車扮する腕の立つ大工の山本清之助との仲を周りの者がその身を案じて何とか引き裂こうとするのを かつ が酒の力を借りてカミソリを持って清之助を取戻そうと殴り込みに行くシーンがあります。
私はこのシーンはこの物語のハイライトの一つではないかと思うほどに“鬼気迫る喜劇”と表現すべき藤山直美の凄まじい迫力でした。結局 かつ は男衆に取り押さえられて大事には至らないのですが、清之助が、横たわる かつ のもとに駆けつけ永遠の愛を誓って大団円を迎えるのです。
その終幕の時にちょっと思ったのです。アレッこの「銀のかんざし」という喜劇はひとつ間違うと怪談話「豊志賀の死」になるぞと。年下の亭主を取られまいとするあまり豊志賀は恨みを残して死んで幽霊になり、北原かつ はあわやというところで男衆に取り押さえられるので死ぬこともなくその後の幸せをつかむというのはホントに紙一重のところなのです。この二つの話は似たような展開にもかかわらず、ホンノちょっとしたことが怪談と喜劇という対照的なストーリーになるというのは、“所詮人生なんぞ紙一重なのさ”ということを象徴しているようで大変に興味深く面白かったです。
つい先日の平成23年11月21日に亡くなった落語家の立川談志さんは「落語とは、人間の業の肯定である。」と常々言っておりましたが、この二つの物語はまさに豊志賀と北原かつ の“業”を主題にして片や三遊亭圓朝が怪談に、片や館直志(渋谷天外)が喜劇に仕立て上げた名作と言えます。
通算勝ち星1045勝をあげて平成3年5月場所限りで引退した大相撲の横綱千代の富士が通算勝ち星でちょうど1000勝目をあげた後インタビューで記者から「次の目標は?」と聞かれて微笑みながら「1001勝」と答えていましたが、私は次の目標を1001本ではなく生涯観劇本数1500本に置いて一本一本今後も観劇本数を積み重ねていこうと思っています。