十八代目中村勘三郎丈の訃報が飛び込んできたのが平成24年12月5日の朝のNHKニュースでした。
そのあまりの衝撃に一瞬絶句。
“私のお芝居礼賛ぱあと1”で「中村勘九郎(当時。平成17年一八代目勘三郎を襲名)は日本一幸せな男だと思う。祖父は六代目尾上菊五郎、父は十七代目勘三郎、賢婦人の誉れ高い好江夫人とはおしどり夫婦、二人の息子勘太郎君と七之助君は人気者・・・・」と書いたことがありますが、たった57歳で夭折(と言ってもいいと思うんですが)してしまうと“日本一幸せ”とは言い難くなってしまいました。
昭和30年代“勘九郎ちゃん”と呼ばれていた小さいころからテレビに出ていたので、よく知っていましたが初めて勘九郎丈の舞台を見たのが平成2年12月歌舞伎座で長谷川伸の名作「一本刀土俵入り」でした。
それまでの文語調の歌舞伎とは違った現代劇のようなわかりやすい構成と勘九郎丈の独特のキャラクターで目の醒めるようなインパクトのあるお芝居でした。
それ以来20年にわたり勘九郎丈のお芝居は勘定してみたら平成22年4月旧歌舞伎座最後の興業の月に「連獅子」を見るまでナント126本!の多数にわたり我ながら呆れてしまいました。
私は目が悪いので多くの場合舞台間近の最前列で観劇するのですが、舞台上の役者さんは観客の顔がよく見えるのだそうです。
それでもしかすると私の顔を勘三郎丈がおぼえてくれていたのかどうか、(お芝居礼賛ぱあと19に書いたのですが)観客サービスとして中村屋の手拭いを観客席に向かって放る際に、最前列に座る私に対して“ハイヨ”とばかりに直接手渡してくれたことが二度あり(この手拭いは私にとって宝物)、さらに平成21年12月の歌舞伎座での「野田版ねずみ小僧」では強欲な棺桶屋の勘三郎丈扮する三太が「縁起がよくっても人は死ぬんだ。」といいながら観客席のほうを適当に指差しながら「ほーらひと棺桶、ふた棺桶」と言ったあと何と最前列中央に座っていた私の目をしっかりと見て私を指差して「み棺桶!」と言ってくれたのです。
勘三郎丈にすれば取るに足らないことのはずですが、受ける観客側からすると目も眩むような感激です。こんな感激を容易に観客に与えることのできる役者さんとはなんと素晴らしい存在なんでしょうか。
訃報の翌日12月6日の日経新聞コラム春秋欄に勘三郎丈に関する記載で「それでも名優と呼ぶのは憚られた。やんちゃのためもあろうし一生かかって究める芸の道はまだまだ先が長いと思ったからでもある。」とありました。
“やんちゃ”とは型にはまらず万人に愛されるキャラクターという意味合いでしょうか、こちらはともかくも57歳という歌舞伎役者としては短い芸歴だったから名優とは呼びにくいという意味合いだろうと思います。
悲しく悔しいことですがその通りだと考えざるを得ません。
“名優”への階段を上がり始めたばかりで、これからの10年20年がどんなに素晴らしい舞台を見せてくれるかと思う矢先での夭折だったのですから。
この“(芸人としての)夭折”ということからすると平成13年10月1日に63歳で亡くなった落語家の古今亭志ん朝師匠と重なります。
その後の10年15年お父さんの志ん生師匠に勝るとも劣らない(でもやっぱりまだかなわなかったかも!)至芸と呼ぶにふさわしいどんな素晴らしい高座が聞けるかと楽しみにしていたにもかかわらず突然の訃報に愕然としました。
また、ボクサーでは昭和48年1月25日に自動車事故により23歳で現役世界フライ級チャンピオンのまま亡くなった大場政夫とも重なります。
亡くなる3週間ほど前にタイのチャチャイチオノイをKOに降して5度目の防衛を果たしたばかりでした。
まだ若い大場政夫は今後10回15回と世界タイトル防衛記録を伸ばしていくものと信じていた当時大学受験生だった私は、衝撃のあまりその夜の勉強が手につかなかったほどです。
六代目菊五郎丈(昭和24年没63歳)や十五代目羽左衛門丈(昭和20年没70歳)そして海老さまと呼ばれた九代目海老蔵丈(昭和40年没56歳)がどれほどの人気役者だったかは昭和29年生まれの私は肌で感じることはできませんが、十八代目勘三郎丈は少なくとも(名優と呼ぶには議論があるのかもしれませんが)彼らと同じような人気者だったことは確かだと思います。
ただ勘三郎丈は、90歳まで舞台を務め一舞台ごとに明らかに弱っていった森光子さんとは違って舞台の上で体力の衰えを観客に感じさせることは全くありませんでした。
しかし平成6年に91歳で亡くなった十三代目片岡仁左衛門丈や平成13年に84歳で亡くなった六代目中村歌右衛門丈は、最晩年の舞台では老いが目立ち、芸を見るというよりは老いに抗おうとする悲しい努力を見せられるようで哀れすら感じてあまりいい気分ではありませんでした。
特に歌右衛門丈の若いころの女形は(写真や映像でしか見たことがないのですが)香り立つような美しさだっただけに尚更でした。
勘三郎丈の場合はついにこの“老いに対する抗い”を舞台で感じさせることなく、かっこよく颯爽とした姿そして憎めないキャラクターをファンに残して亡くなってしまったのでそれがせめてもの救いかもしれません。
合掌