平成308月の歌舞伎座第一部は劇作家北条秀司の名作「花魁草(おいらんそう)」でした。この戯曲は七代目尾上梅幸のために書かれたものだそうで、昭和562月梅幸主演により歌舞伎座で初演されました。花魁草とは“草夾竹桃(くさきょうちくとう)”の別名で紫色の可憐な花をつけるのだそうですが、私は見たことがありません。 

粗筋は幕末の安政二年十月江戸を襲った大地震とそれに続く大火で当時遊女三千人と言われた吉原と芝居で賑わった猿若町は壊滅したため、江戸のはずれまでやっとの思いで逃げてきた歌舞伎役者中村幸太郎と女郎お蝶が日光へと続く中川の土手べりで出会います。何となく惹かれあった二人はたまたまやってきた舟に乗せてもらい日光街道の宿場町栃木宿に辿り着き、そこで幸太郎が縁起物の達磨造りに励みお蝶がそれを支えて貧しいながらも束の間の幸せな日々を一年余り過ごします。

しかし江戸の復興が進み芝居も復活して幸太郎の贔屓筋の茶屋女将お栄と劇場の座元勘左衛門が遥々栃木宿まで幸太郎に会いに来て歌舞伎に復帰するようにと伝えます。喜ぶ中村獅童扮する幸太郎と、それを傍で浮かない顔で聞いている中村扇雀扮するお蝶。実は幸太郎には内緒にしていたのでしたが、お蝶自身となんとその母親までも男女の愛憎のもつれから過去にそれぞれ人を殺(あや)めてしまい母親は獄死、自分もその咎(とが)から下級の女郎にまで身を落としてしまったという忌まわしい過去と、幸太郎より10歳も年上、そして忍び寄る自身の病気の影に怯えて田舎町の達磨造り職人の女房ならばともかくも、江戸の人気役者の女房など幸太郎の出世の妨げにしかならないと悟るのです。お蝶に心底惚れている幸太郎は当然お蝶も一緒に江戸で暮らしてくれるものと思っていたのですが、江戸に戻ってすぐお蝶は姿をくらまします。

六年後江戸で大人気の役者になった幸太郎が、栃木宿で歌舞伎公演を行うということで住民は騒然とする中、幸太郎は以前自分が植えた花魁草を頼りにやっとお蝶と一緒に住んでいた家を探し当てますがそこにはお蝶はおらず女の按摩がいるだけでした。落胆する幸太郎でしたが、その晩飾り立てた船に乗って歌舞伎役者が興行地に入るという歌舞伎独特の船乗込みを行う幸太郎の晴れやかな姿を一目見ようと、栃木宿の民衆は大勢巴波川(うずまがわ)にかかる橋の上に押し掛けます。幸太郎の乗った船が橋の下を通り過ぎると民衆は次の橋の方に向かってみんな大急ぎで移動します。そして誰もいなくなった橋の上で頭巾をかぶった女が一人、病み衰えた体を懸命に支えながら遠くに行ってしまった船に向かって幸太郎の屋号である「淡路屋」と声を張り上げ「コーちゃん」と泣き崩れるところで幕となります。

作者の北条秀司は戦争中に満州で聞いた薄幸な女の身の上話をヒントにしてこしらえた戯曲だと言っていますが、似たような話は昔も今も少なからずありそうです。

今では妻帯している人気の歌舞伎役者Kに昔子供まである愛人がいたのですが、この女性は諸事情(おそらくは歌舞伎役者の連れ合いには全く向かない女性だったのでしょう。)から正妻にはなれず一生日陰の身として暮らして表にはでてきていませんしその子供も歌舞伎役者になったという話は聞きません。腕利きの劇作家の手になればきっと「花魁草」を上回る悲恋の戯曲ができるかもしれません。 

舞台を観ていて興味深かったシーンが、市村萬次郎扮する茶屋女将と坂東弥十郎扮する座元が達磨造りを生業(なりわい)にしていた幸太郎に歌舞伎復帰を伝えるシーンです。表情豊かに会話するこの三人に観客の目は行きがちになりますが、実はそれを傍らで聞くお蝶の演技こそが注目されねばならないと私は考えています。

はるばる田舎町まで訪ねてきた茶屋女将と座元の話をお蝶は少し不安を覚えながらも始めは何だろうと興味津々で聞き、それが幸太郎の歌舞伎復帰の話だと分かると目を落としてしだいに打ち沈んでいく様を目と口元の小さな動きそして肩や手のちょっとした仕草で中村扇雀は上手に演じました。幸太郎の復帰を喜びながらも、段々に深くなっていくお蝶の悲しみと絶望が観客席まで伝わってくるようでした。

その後の幸太郎とお蝶の悲しい別れはみんなこの瞬間から始まったのですからここはこの「花魁草」というお芝居にとって極めて大切なシーンなのです。テレビドラマや映画なら喜ぶ幸太郎と反対に暗くなっていくお蝶の対比の妙をきっと交互にアップで映し出すところですが、舞台はそうはいきません。観客もそれなりに考えながら舞台を見つめる必要がありそうです。 

今回の「花魁草」で一つだけ違和感を覚えたシーンがありました。それは幕切れにお蝶が巴波川の橋の上から遠ざかる幸太郎が乗った船を凝視しながら屋号を叫ぶシーンです。設定では病気のお蝶が利かない身体からやっとの思いで叫ぶのですから弱々しい声になるはずですが、中村扇雀扮する今回のお蝶は健康的にふくよかな顔からビシーッと歌舞伎座大向こうからかかる掛け声のように「淡路屋!」と決めたのです。ここは絶対違うよなと思いました。

私は「花魁草」を平成810月と平成238月それぞれ新橋演舞場で見ていますが、平成8年の劇団新派の名女形 英(はなぶさ)太郎扮するお蝶の演技が秀逸でした。幕切れの屋号を叫ぶシーンも、余命いくばくもないことを予感させるようなか細い声で「あ・わ・じ・やー」と嬉し涙にくれながら一語一語絞り出した時には涙が溢れてくるようでした。

惚れた男を想う女心の切なさを詠った都都逸に

「あきらめましたよ どうあきらめた あきらめきれぬと あきらめた」

というのがありますが、「花魁草」の幕切れに何故かこの文句が頭に浮かんできました。