( “紙屋町さくらホテル” その二 )
井上ひさしさんの作品は極めて重いテーマを取扱うときに歌や音楽を入れて場を和ませたり、またクスリと笑える場面を作って観客の緊張をほぐしてくれます。
思想犯を取り締まる(世間から忌み嫌われ者の)特高刑事戸倉が初めてさくら隊の面々に会うシーンです。
戸倉 「丸山定夫さんに、園井恵子さんだね。」
二人 頷く。
戸倉 「(手帳を見ながら)園井恵子。宝塚少女歌劇団で絶大な人気を得る。のち新劇に転身して
丸山定夫に師事。(園井の顔をジロジロ見て)ふうーん映画で見たのとだいぶ違うぞ。」
園井 「入場料をお払いにならない方にはこんな顔。」
戸倉 「なに?」
園井 「入場料を頂ければものすごい美人になって差し上げますよ。」
その場に居合わせた人たちみんなクスクス笑う。もちろん観客席も笑い声です。
戸倉 「笑っちゃいかん。時節柄を何と心得ている。今は非常時なんだぞ。」
ここまで書いてみて気が付くのですが、私はこの舞台をじかに見ているので文字にして読んでも観劇当時のイメージがすぐ湧いて今でもクスリと笑えます。園井恵子にあしらわれた戸倉特高刑事の戸惑ったちょっと悔しそうな顔までが鮮やかに蘇ります。(戸倉を演じた大原康裕という俳優さん上手でした。)
しかし舞台を見ていない方々にはこの文章を読むだけでその場面のイメージが湧いてクスリと笑えるのかどうかちょっとわかりません。舞台上の俳優さんたちによる工夫を凝らした所作やセリフの強弱、イントネーションなどを全部観客が受け取ることでお芝居の理解と感動が深まるのではないかと思います。
お芝居後半大島助教授が、身分を偽ってさくら隊に入った林こと針生陸軍中佐と鋭く対立しその化けの皮を剥ぐ場面があります。
大島 「(キッパリ)津田君の論文及び彼の愛した学問を侮辱する者は許しません。」
針生 「許さん?それは面白い、それで自分をどうしようというのか。」
大島 「はだかにひん剥いてさしあげる。」
針生 「はだかにひん剥くだと?」
大島 「あなたが言った“林と申します。仙台生まれです。”嘘でしょう。ここ2~3日君の話すのを
聞いてきましたが奥羽方言のかけらもありません。」
針生 「何を言ってるんだか。」
大島 「(きびしく)林君!」
針生 「(思わず)おい。」
大島 「やはり千葉県の出身ですね。」
針生 「・・・・・・・!」
大島 「房総では“はい”と言う代わりに“おい”と返事するんですよ。君は少年の頃から陸軍の学校で
過ごした。たぶん幼年学校、士官学校、君の基本語彙(ごい)はそこで作られた。」
針生 「(少し怖くなって)見てきたように言うな。」
大島 「外国留学の経験がある。留学先はイギリスそしてドイツ。」
針生 「・・・・嘘だ!」
大島 「地方へは一度も出ていない。君がいたという北支戦線、小倉の陸軍病院、広島の作男は
すべてその場の思い付き。小倉にいたことがあれば芝居のセリフ回しに少しはそれが
表れていいはずだし、広島言葉に疎いところを見ると広島も初めてでしょう。」
針生 「何故だ。何故そこまでわかるんだ!」
大島 「その人の言葉はその人の経歴書だからですよ。おまけをつければ、言語学が学問だからです。」
針生 「・・・・・・・」
小柄で非力そうな大学の先生が、大柄で鍛えあげた陸軍軍人を完膚なきまで打ちのめした場面に観客席も息を飲んで舞台を見据えました。やはりこのシーンも文章で読むより実際に舞台で大島助教授と針生陸軍中佐のやり取りを見たほうがはるかに感動が大きいものと思います。