( 吹雪峠 )
「峠」という漢字を国語辞典で引くと、「山の道をのぼりつめたところ」とありますが、この“道”は人が作った道であって自然にできた山脈などにある獣道などではありません。人の手が関わった一番上、物事の絶頂・最高潮を表す「峠」は歌舞伎の題名にもいくつか取り上げられており、事件が起きたり秘密が明らかになって物語の流れがすっかり変わったりするなどお芝居の構成にとっては大切な場所になることが多いようです。
昭和10年東京劇場で初演された“吹雪峠”は昭和の黙阿弥とも称された劇作家宇野信夫の作品で、極限状態に陥った人間の本性を描き出す心理劇となっています。
粗筋は、江戸末期吹雪に苦しめられながら(尾上松也扮する)助蔵と(中村七之助扮する)おえん夫婦が山中を歩いている所やっと山小屋を見つけその中に避難します。直吉というやくざ者の女房であったおえんは三年前直吉の弟分の助蔵といい仲になり駆け落ちをしたものの直吉に探し出されるのではないかと怯える毎日です。しかし直吉に対する詫びの気持ちから日頃信心する日蓮宗の本山身延山詣りを済ませた帰りの吹雪だったのです。そうした中その山小屋に「道に迷った。」と言いながら一人の男が現れ焚き火に近寄ると、これがなんと(市川中車扮する)直吉!だったのです。仰天する助蔵とおえんは必死に詫びるのですが、「おえんのことは諦めた。」と言って直吉は二人を許します。ところが安堵のためか元々病身の助蔵が激しく咳き込むとおえんは薬を与え甲斐甲斐しく世話をするのを目の当たりにした直吉は突然二人に「この小屋を出て行け」と迫ります。外は猛吹雪で小屋を出ることはほとんど死を意味します。刀を抜き放つ直吉に小屋に置いてくれと願い必死に命乞いをするうちに、助かりたい一心の助蔵とおえんは争いをはじめ互いに罵り合うことになります。そんな二人の様子を見た直吉は突然笑いだして猛吹雪の外へ一人飛び出して行ったところで幕となります。
兄貴分の女房を奪って駆け落ちまでして一緒になった助蔵・おえんでしたが生きるか死ぬかの瀬戸際になるとなりふり構わず究極の不義理をした直助に命乞いをした上に互いに罵り合うという驚きの展開に息を飲みました。おえんは「助蔵の情にほだされたが、ずっと心では直吉を忘れていなかった。」と言い出し、助蔵は「自分を誘惑したのはおえんで、兄貴の顔に泥を塗ったおえんを殺してほしい。」と叫ぶのです。
直吉を演じた中車はあまり多くのセリフを発しませんでしたが、いわば物言わぬセリフとでも言いましょうかちょっとした“仕草”或いは“間”で充分に自分の感情や思いを助蔵・おえんそして観客に伝えて芝居を引き締めていました。山小屋にいた二人が憎い助蔵・おえんだと知ったときの呆然とした立ち姿、命乞いをされた時の表情、しかしおえんが助蔵の世話をするのを見つめる時の嫉妬に燃えるような眼、さらには命惜しさから二人が罵り合う姿を前にした直吉を演ずる中車はその存在感が際立っていました。
助かりたい一心でそれまで仲睦まじかったおえんに対して手のひらを返したように振舞う助蔵を見てだらしない! 情けない! と思う観客は多かったに違いありませんが、やはり極限状態になると人間はああなるのだろうなと思いました。
最後に直吉は 「 色より 恋より 情けより 命を大事に生延びろ。 」 と言い捨てて吹雪の中に消えていきます。
マーッタク、格好良さここに極まれり!というラストシーンでした。
さて芝居にはありませんでしたが、その後小屋を出た直吉は吹雪の中どうなったか、小屋の中に残された二人はどうなったかを作者の宇野信夫は書きませんでした。やはり観客の想像に任せようとしたのです。直吉がいなくなった小屋で二人は「さっきは直吉がいたからああ言ってしまったけど・・・・・。」と互いに詫びて仲直りをしたのか、それとも一晩中小屋の端と端にうずくまってまんじりともせず夜を明かし朝になって無言で東と西に分かれてそれっきりになったのかはわかりません。
マーッタク、格好悪さここに極まれり!という結末になりそうだったから、宇野信夫は敢えて直吉が出て行った後を書かなかったんですかね。