準備
昭和16年12月8日から1367日も続いた太平洋戦争において大海戦と言われるのはハワイ・マレー沖海戦、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、フィリピン沖海戦程度しかありません。このほかにも小規模な海空戦は幾十回と繰り返されましたがそれでも時間的にみれば1367日のうちほんの数%にしか過ぎません。
陸軍の戦いにおいてもしかりです。当時の新聞を読むとよくわかるのですが凄惨な戦闘が毎日繰り返されていたわけではなかったのです。つまり戦争とは、全体から見ればごく短時間の実際の戦闘と、それ以外の(表面的には平穏な)膨大な時間の合計となりますが、この膨大な時間は実際に敵と合間見える戦闘を如何に最上の条件で有利に戦えるようにするかの準備にこそ使われねばならなかったのです。
ところが日本軍は戦争とは戦闘行為 そのもののみと考え戦闘技術を磨くことに殆どすべての努力を費やしました。人間の能力は無限に向上するものだと考え、凄まじい訓練の結果今の我々からは到底想像できないような能力を獲得した兵士も現れました。しかしそのような兵士も本来の能力を十分に発揮できないまま虚しく戦場に斃れた例が多くありました。
日米の国力の差もありましたが”戦闘の準備”に対する考え方が全く違っていたのです。日本軍は滑走路と飛行機と搭乗員さえあれば空中戦ができると安易に考えていたのですがそうではありません。飛行機や滑走路を整備する人、搭乗員の健康を管理する人、これらの人たちに食事を提供する人、警備する人などなどちょっと考えただけでも何と膨大な人の力の結集が必要かと気が遠くなりそうです。それぞれどの分野の人たちが欠けても最上の条件での戦闘は望めません。日本人は劣悪な条件下で戦って勝つことにのみこの上ない美学を見出していたのではないかと疑いたくなるくらい補給も含めた戦闘の準備を軽視していました。
アメリカ軍は第一次世界大戦で遠距離での戦場を体験したために本能的に”準備”が大切であることに気がついていました。自軍の準備は周到に行う一方、敵軍の準備(補給線)を徹底的に妨害しました。戦闘こそ全てと考えている日本軍は簡単に輸送ラインを破壊され(特に戦争の中ごろから後半にかけて)多くの場合最低の条件下で、質量ともに圧倒的に優勢な(つまり日本軍とは逆に最良の条件下にある)アメリカ軍を迎え撃たざるを得ませんでした。
私は会社経営も全く同じではないかと考えています。経営者の職務とはそれぞれの分野の担当者である従業員が最も仕事がしやすいような環境を整え、能力を十分発揮させる仕組みを作ることではないでしょうか。経営者はこの”準備=環境整備”に全力で取り組まねばなりません。因みにデスクワーク中心の私の事務所では仕事をしやすい環境整備の一環として”事務上のストレスの緩和”を重要課題としています。