負け方を知らなかった日本
日本はその開闢以来、海に囲まれた島国ということが幸いしてか国が滅びるような敗戦を経験しないまま太平洋戦争に突入しました。明治維新以降でも日清、日露の両戦役に勝利した(ことになっている)後も勝ち戦ばかりだったので国が負けるということが想像すらしなかったのです。
太平洋戦争中英語を敵性語として排除したように日本人は嫌だとなるとその研究すらも徹底してしなくなるようです。敵を知り己を知るために必要であるにもかかわらず自ら遠ざけてしまうのです。遠ざけてさえしまえば災厄が降りかからないと無邪気に信じているが如くに。
ヨーロッパの国々は数千年の長きにわたって何度も国が滅びるのを経験してきたので本能的に手続き面も含めて負け方をよく知っていました。日本だけが神の国は負けないという根拠のない空疎な信念に凝り固まり、負けないのだから負け方を研究する必要がない或いは負け方を研究すること自体敗北思想で強い軍隊にはふさわしくないと考えたのかもしれません。しかし「戦争とは他の手段をもってする政治の延長」でありその目的は「武力をもって自国の意思を相手国に押し付ける」ことにあるのですからやはり手続的なものも含めて開戦や降伏のルールを平時からよく研究しておくべきだったのです。
終戦時大本営の参謀だった朝枝少佐は陸軍大学在学中に「開戦や停戦、降伏の仕方を全く習ったことはなかった。」と文芸春秋平成19年6月号で述べています。つまり国が負けるとどうなるのかが戦争指導層すら知らなかったと言っても過言ではなかったのです。
わからないということは恐ろしいことです。人は死を恐れますがそれは人間が死ぬとどうなるのかがわからないからだと言われています。戦争末期に連合国が大日本帝国に突きつけた無条件降伏を受け入れるとどうなるのかが当時の指導層に想像できなかったために絶望的な戦いを続けざるをえなかったのです。昭和19年7月のサイパン島陥落か同年10月のレイテ沖海戦での日本海軍壊滅の時点で日本が勝つ(或いは負けない)可能性は皆無になったので本当はここで降伏すべきだったのですが、それができなかったのは負け方を研究してこなかったのも大きい原因の一つだと私は考えています。そして戦争最後の一年はほとんど虐殺に近い一方的な戦いになり無辜の国民も含めた有為の人材が多数死んだのです。私はあの東京裁判は不当だと思っていますが東條元総理はじめ当時の戦争指導層に戦争責任があるとすればこの点だと考えています。
会社経営も同様です。国が負けるのを会社にたとえるなら倒産ということです。ほとんどの経営者は倒産するためにはどのような手続きが必要でその後どうなるのかを知りません。知らないから恐ろしくて倒産の手続に踏み切れないため無責任にも様々な問題を先送りして赤字を増やしながらずるずると会社経営を続けるのです。そしてにっちもさっちも行かなくなって会社継続を断念せざるをえなくなったとき周囲の人たちに更なる迷惑をかけてしまうのです。もっと早く倒産していれば傷が小さく、周囲の迷惑も少なくて済んだはずなのにと残念に思うことがあります。撤退や会社整理は新規出店や会社設立よりもはるかに多くのエネルギーを使いますが、その時点を正しく見極め倒産の決断をすることは経営者としてどうしても必要な能力の一つと考えます。