平成21年8月の新橋演舞場は、市川海老蔵主演の「石川五右衛門」でした。五右衛門はご存知日本一の大泥棒で時の天下人豊臣秀吉の命を狙うも捕らえられ、文禄3年(1594年)京都三条の河原で息子諸共釜茹での刑に処せられました。

今回のお芝居では五右衛門が大阪城の豊臣秀吉の側室淀君と懇ろになり、秀頼はなんと五右衛門の子供だったという設定です。しかもそのことを知った秀吉が少しもあわてず五右衛門は実は秀吉自身の子供であり息子と思っていた秀頼は実は孫だったというまさに歌舞伎ならではの奇想天外なストーリーにしておりました。歴史を無視した設定ですが、ある方が「歴史そのものが物語なんだよ!それ証拠にHISTORY(歴史)からHIをはずしてみなさい、ほーらSTORY(物語→作り話)になったでしょ!!」と言われ妙に納得したことがありました。つまりHISTORYとは“HI-STORY→偉大なる筋書き”とも読めそうですね。

そういえば歌舞伎の定義に「ありそうもないことをいかにもありそうに見せる演劇だ。」と言うのがありましたが、まさに今回の「石川五右衛門」はその定義に従えばまさに“これぞ歌舞伎”でありました。

宙乗りあり、本物の火や煙を使ってのスペクタクルありで楽しいお芝居でしたが、それにしても海老蔵はいい男ですね。歌舞伎役者の中ではピカイチだと思います。歌舞伎座三階の壁に思い出の歌舞伎俳優と題して明治32年1月没の四世中村芝翫から平成13年7月没の十七代目市村羽左衛門までの67枚の人気歌舞伎役者の写真が飾られていますが、この中でホントに誰が見ても惚れ惚れするような美男だと感じるのは六代目尾上菊五郎、ふぐで死んだ七代目坂東三津五郎など十指に足りないような気がします。中には(ゴーガン不遜にも)俺はこの人には勝ってるんじゃないだろーか!と思われるちょっと不細工顔の人もいます。まあ歌舞伎役者は一般の人が考える美男ばっかりの集まりではないようです。ところが何故かみんな魅力的なのです。美男というよりはむしろ“立派な顔立ち”と表現したほうがいいかもしれません。おそらくは小さいころから厳しい稽古に耐えて芸を身につけたオーラが顔や身体から出ている如くでそれが“立派な顔立ち”を形作っているのかもしれません。そして彼らの“眼”が特徴的です。顔は笑っていても彼らの眼は“寄らば斬るぞ”という鋭い眼をしています。眼の力→メヂカラが凄いのです。歌舞伎役者の美醜を超越してこの“メヂカラ”が魅力ある顔立ちにさせるのではないかと私は思っています。

当代市川海老蔵は美男の上にやがて13代目団十郎を継ぐであろう江戸時代から続くその品格、厳しい稽古に裏打ちされた自信、そして“メヂカラ”があの素晴らしい顔立ちを作り上げています。昭和52年生まれの当代海老蔵の目にはそのほかに狂気も感じます。その狂気の目がいい方向だけに向かっていけばと思うや切です。(オーキナお世話ですね。)

そういえば同じような眼にお会いして親しくお話しをしたことがありました。平成9年当地石巻で狂言の野村万作さん萬斎さんたちが公演を行ったあとの打ち上げパーティにお呼ばれしてなんと人間国宝野村万作さんの隣の席に座る栄誉に恵まれたことがありました。約一時間余りにわたって狂言や歌舞伎を初めとした演劇について親しくお話をしていただいたことは信じられないようなありがたい時間でありました。

昭和50年前後でしたでしょうかネスカフェゴールドブレンドのCMで野村万作さんが狂言「釣り狐」の扮装でピョ-ンと飛び上がってあたかも空中に静止している如くの場面を思い浮かべる方も多いと思います。

一見大学教授を思わせる物静かな学者さんタイプですが真近くで拝見した眼力のするどいこと。この方に稽古をつけてもらうお弟子さんはどんなにか恐怖を感じることだろうと可哀相にすらなりましたが、こうでなければ何百年の伝統を守ることができないのだろうと思います。

単なる目つきが悪いのとは意味合いが違う“メヂカラ”を私も身につけたいと願っています。

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