平成1710月のサンシャイン劇場公演は、麻美れいと金田龍之介による“サラ”でした。フランスが生んだ世界的大女優サラ・ベルナール(1844年生-1923年没)は19世紀末から20世紀初めにかけて世界中の知識階級から一般大衆までも魅了し、“聖なる怪物”とまで呼ばれ、ある伝記作家は「サラはジャンヌダルク以来最も称賛されたフランス女性だ。」とまで絶賛しています。1915年(大正4年)右足切断手術を受けるもその年のうちに舞台に復帰し、イタリア巡業の際にローマのホテルに着くや、部屋にはイタリア国王とイタリア首相ムッソリーニそしてローマ教皇から送られた三つの花束があったと言われています。

舞台も映画も海外事情に全く疎い私は、サラ・ベルナールを数枚の写真でしか見たことはありませんが、それほど飛びぬけた美人でもないようです。しかしサラに関する記述を見ると“黄金の声”と評された澄んだ声、人々を魅惑する“まなざし”、比類のない“輝き”など(努力のみによって得られるものではない、数字では測れない)観客を魅了し虜にする“何か”が備わっていた女優であったことは間違いないようです。

お芝居はサラが亡くなる一年前の1922年(大正11年)フランス・ブルターニュの孤島にあるサラの別荘で、麻美れい扮する78歳のサラと金田龍之介扮する執事ピトゥ二人による会話劇です。7年前に舞台上で死と紙一重の不慮の事故により片足を失い体調も優れないサラが自分の半生を伝記にしようと思い立ちピトゥに口述筆記させるのですがなかなかはかどりません。そこでサラは回想中に出てくる人物を、ピトゥに扮してもらいお芝居風に仕立てることを思いつきます。次々に現れるサラとかかわった人物にピトゥが(嫌々)扮して二人の回想がまるでお芝居ごっこのように進んでいきます。

自身の老いが進み少しずつ世間から忘れ去られていることを敏感に感じ取っていたサラは別荘の窓から眺める夕陽に向かって「太陽だけが唯一無二の友人だ。」と言い放ちます。

そしてラストシーン、常に輝き続ける太陽に嫉妬するかのようにサラはこう言います。「太陽、お前はいつも自分だけは永久不滅だとでも言いたげな顔をしてすましている。まるで暗い夜だの迫りくる死などは幻想だとでも言いたげに。でもお前さん本当に怖くないの?白状しなさい。本当は少しばかり怖いんじゃないの?そうだろう、え?」

サラ・ベルナールは舞台の上で役を演じるとき大仰な身振りや誇張したセリフ使い、そして感情移入過多ともいえる演技で有名だったそうで、それをまねた麻美れい扮するサラによる大袈裟とも思えるセリフや演技によって回想シーンが鮮やかなものに仕上がった印象を受けました。

名声や富などすべてを手に入れた如くに見える最晩年のサラの回想を語るシーンには、誰も抗うことのできない“老いの恐怖”が見え隠れします。英雄・独裁者・偉人・大富豪と呼ばれる人々でも必ず老いや死は、それらの対極にある人も含めて平等にやってくるのです。孤島の別荘での回想シーンの翌年79歳で亡くなることになるサラは、手に入れたすべてのものを無慈悲に奪い去っていくそのことに怯えていました。

ヨーロッパとアメリカ両大陸で“椿姫”や“オセロ”・“ハムレット”などに主演して絶賛を博し、男性遍歴とその激しい気性とも相俟ってゴシップにも事欠かず常に世間の注目を浴び続けてきたサラでした。しかしこの別荘でのサラは、執事のピトゥと共にひっそりと暮らす(気位だけは高いが)弱い老婦人です。おそらく現役を去ったサラからは多くの人が離れていき、移り気な一般大衆はそろそろサラ・ベルナールを忘れ始まるころだったのかもしれません。

元宝塚スターだった平成17年当時55歳の麻美れいによる最晩年のサラは、熱演と言い換えても過言ではないかもしれません。サラの老いと死に対する恐怖と、過去の栄光にすがり虚勢を張って“唯一無二の友人”であるはずの太陽に向かってすらも毒づくラストシーンは感動的ですらありました。

日本でも大スターだった芸能人の晩年が寂しいものだったということがよくあります。一見華やかそうに見えるものの仕事も激減し金銭的にも困窮している場合も少なくないようで、あの大女優がこんなテレビドラマの端役に出演するのかとビックリすることもしばしばありました。輝かしい現役時代であればあるほどその落魄の最期はセンセーショナルに雑誌やテレビでひと時取り上げられそしてすぐ忘れ去られます。行いを正しくし続けた上できちんと家族を守り、その結果として(ご褒美と言い換えてもいいかもしれません。)子や孫に囲まれて大往生を遂げることのできる芸能人はどうも少ないような気がします。

ところで麻美れいは昭和608月に御巣鷹山に墜落したJAL123便に搭乗するはずが、仕事が早く終わったので一便早い飛行機に乗換えたために難を免れているのだそうです。この飛行機事故では520人が亡くなっていますが(生存者4人)その中には歌手坂本九ちゃんもいました。真偽のほどはわかりませんが麻美れいのようにこのJAL123便に搭乗するはずだったものの乗り遅れるなどして難を逃れた芸能人は明石家さんま、逸見政孝、稲川淳二、ジャニー喜多川、少年隊そして桂歌丸さんなどの当時の笑点メンバー全員なのだそうです。

つくづく人の一生は紙一重だと思わずにはいられません。