昭和30年代、テレビの一般家庭への普及に伴って急速にその姿を消した職業の一つに紙芝居屋さんがあります。毎日ではありませんでしたが夕方になると拍子木の音で子供達を集め、自転車の荷台に設えた額縁のような木の枠の中が紙芝居の劇場です。地域によっても違っていたのでしょうが紙芝居の見物料というものはなく、紙芝居屋のおじさんが持ってくる水飴やせんべい・するめを5円で買ってそれを食べながら見るのです。拍子木の音が聞こえてくると私は親にもらった5円玉を握り締めてわくわくしながら走っていきましたが、当時は今では考えられないぐらい貧しい家庭が多くその5円すらもらえない子供は少なくなかったように思います。そういう子供達は水飴などを食べることはできませんが 紙芝居は見たいので我々の少し後ろで遠慮がちに紙芝居を見るのです。紙芝居屋のおじさんもあまり咎めなかったような気がしますが、こういうお金を払わないで紙芝居を見る人のことを私が生まれ育った涌谷町では“ぺろんこ”と言いましたが、それほど悪意は込められていませんでした。
もともとはお風呂などで子供がふざけて頭を湯の中に沈めて潜ることを“ぺろんこする”と表現していましたので隠れるという意味だったのでしょう。そこから転じたものかもしれませんが、映画や芝居などでも木戸銭を払わないで見る人のことをそのように称していたそうです。しかし昭和30年代後半ごろから紙芝居屋さんが廃れていくのと軌を一にするかのように“ぺろんこ”という表現も使われなくなりました。
老舗演劇集団に「劇団新派」という団体があります。水谷八重子(二代目)や波乃久里子安井昌二などが所属しています。「新派」の起源は明治時代の中ごろ、芝居といえば歌舞伎という時代にわざわざ歌舞伎を指して旧派と呼びそれに対抗する新しい演劇という意味で「新派」と称しました。その後離合集散を繰り返しながら昭和24年いくつかの新派の団体が一緒になり「劇団新派」として現在に至っていますが、平成20年は明治から数えて 120周年だそうです。水谷八重子(先代)や花柳章太郎など名優を多数輩出しながら平成の今に至るまで日本人の心の原風景ともいえる明治や大正の義理人情を題材にしたお芝居を数多く行っています。
しかしかつては新しい演劇を主張した新派芝居もいまや全くレトロな明治の空気を伝える芝居となり、平成の今日にはお芝居の中のかび臭いストーリーに違和感すら覚える異次元空間と化しているものも少なくないと思います。
違和感を感じるのはかびの生えたような義理人情ばかりではありません。役者さんの口から台詞として発せられる明治や大正の言葉そのものに、平成時代を生きる我々にはわからないものが少なからずあるのです。
平成19年8月に三越劇場で劇団新派によって公演されたのは、明治40年に泉鏡花によって書かれた“婦系図”(“ふけいず”ではなく“おんなけいず”と読みます。)でした。
このお芝居は劇団新派の財産ともいえるお芝居でこれまで繰り返し上演されてきています。
泉鏡花の作品には明治時代の日常生活にごく普通に使われていた言葉がたくさん出てきますが、それからちょうど100年の歳月が流れた今、時代の変化と共に使われなくなった言葉が新派のお芝居の中には台詞としてたくさん出てくるので時々意味がわからなくなるときがあります。
たとえば今回の婦系図で使われた台詞の中の「新ぎれ」「凶状持ち」「馬丁→“べっとう”。」「三世相描き→“さんぜそうかき”」「にんべんの切手」「鶯の饅頭→うぐいすのまんじゅう」「待合」「新粉細工で拵えた→“しんこざいくでこしらえた”」「茶屋」などの言葉は現代では全くと言っていいほど使われずおそらく多くの方々が理解不能だと思います。
因みに「鶯の饅頭」とは懐中時計の意味ですが懐中時計そのものが珍しくなってきました。
「新粉細工で拵えた」とは白米を粉にしたものを用いて花や鳥、人物などをかたどった 細工菓子のことを新粉細工といいますが、この場合は壊れやすいという意味になります。
新粉細工という表現は私の母親が昭和10年代までは使っていたそうですが戦後は使わなくなったと言っていました。
「茶屋」はお茶の葉を売るところではなく料理屋のことで、お茶の葉を売るのは葉茶屋と別に称しましたし、水茶屋といえば今日で言う喫茶店のことです。
ところでお芝居は難解な言葉ばかりではなく時にはとんちも必要な場合もあります。平成19年12月明治座でさだまさし原作の「眉山」が公演されました。宮本信子扮する母親が30歳を過ぎても結婚しない石田ゆり子扮する娘に誕生日プレゼントを贈る場面でこう言うのです。「あんたももうダルタニャンだからね。」これを聞いたそばにいたこれも独身の看護婦が「あらそれだったら私なんかヘレンケラーだわ。」
おわかりでしょうか。ダルタニャンとはフランスのアレクサンドル・デュマの名作「三銃士」の主人公です。三銃士→さんじゅうし→三十四→34歳という意味です。
ヘレンケラーとは目も耳も口も不自由だった三重苦で有名な人でした。三重苦→さんじゅうく→三十九→39歳という意味です。因みに私はダルタニャンはすぐわかりましたがヘレンケラーの方はすぐは思い浮かびませんでした。
歌舞伎の台詞も文語調でわかりにくくいちいち調べないと理解できない場合が多いのですが、(明治時代に歌舞伎を旧派と表現した)新派のお芝居ですらそれに近くなり始まっているような気がします。
社会のテンポが速くなりそれと共に廃れていく言葉も多くなっていくようですから長い伝統があり劇団新派の財産だと思っていた“婦系図”という演目が時代の変化に取り残され 次第に世の中に受入れられなくなってしまうのではないかという恐ろしさを感じたお芝居でした。