私は宝塚歌劇を生で見たことがないのでタカラジェンヌの顔と名前が一致しないのですが、平成23年の観劇事始めは1月シアタークリエでの一路真輝、瀬奈じゅん、春風ひとみ、遠野あすからによるトルストイの名作「アンナカレーニナ」でした。

“戯れに恋はすまじ”というテーマのこのお芝居そのものはそこそこでしたが今回のお芝居は宝塚のスターが出演しているということで女性ファンが多いのにびっくり仰天。

私が座る最前列の男性は私ともう一人だけ、後ろの席を見渡すとナントカ刑場の晒首よろしくウン十年前の乙女と淑女のかお、カオ、顔、貌。2列目から4列目までは全員女性で、5列目にやっと二人男性が見つかりました。

「幕開きまでのさまざまな、地鳴りのような話し声、
むせかえる濃霧のような香料の、複合汚染のその中に、
醜い虚飾に包まれた、このお一人おひとり様にも清純な、
娘も少女の時代もあって、嗚呼ご苦労されてのこのお顔。」
とアヤノコージキミマロ調になってしまいました。

それほどヅカガールに思い入れのない私は、珍しく観客に注意を払う余裕がありました。オー昔のお嬢様方がその両手をお祈りするように膝の上で組み、目を♡マークにしてうっとりと舞台を眺めて、そしてその目からはやがて紅涙(今時流行らない表現ですね。)があふれ出すのです。嗚呼ナントいうカンドー的な非日常性でありましょうか!こちらも思わずその非ニチジョーの中にいられる幸せをかみしめたとき、休憩タイムとなった瞬間です。

何人かまたは何十人かのオールド乙女や淑女達が陸上短距離選手よろしく出口に向かって走り出すのです。エッなに?ヅカグッズの限定販売??と思ったら、トイレでした。たった一つしかない女性用トイレに殺到したのです。たちまち三列縦隊!の順番待ちの長い行列が出来上がりましたが、せっかくの非日常の気分があっという間に普通の日常に引き戻された悲しい瞬間でありました。しょうがないですね。因みに男子トイレはほとんど使用する人はいませんでした。

「アンナカレーニナ」の翌日は三越劇場で新派公演の「日本橋」でした。波乃久里子扮する芸者お孝と歌舞伎役者市川段治郎扮する医学士の悲恋物語(これも今時流行りませんかね。)で高橋恵子扮する芸者清葉との三角関係(これもあんまり使われなくなりましたね。)もあってお芝居は面白かったのです。

ところが先代中村勘三郎の次女の波乃久里子は昭和20年生まれです。12月生まれですから一応戦後生まれではありますが、昭和44年生まれの市川段治郎との実年齢の差は24歳です。普通だったら親子ですね。でも舞台での設定はご両人とも20代なんです。芝居のセリフの中に波乃久里子扮するお孝が安井昌二扮する巡査に見咎められて啖呵を切る様に「稲葉屋お孝28歳!」と声を張り上げるシーンがありましたが、実際の彼女は65歳ですから、37歳!も開きがあることにさすがに観客席からそれとわかるような失笑が湧き上がりました。こういう場合、舞台上の役者さんはいたたまれない気分になるもんなんですかね。波乃さんに聞いてみたいです。

以前、文学座の角野卓造さんが我が家に来た時に聞いたことがありますが、やはり実年齢が離れていると夫婦役を演じる際に密かに違和感を覚えるとおっしゃっていました。昭和23年生まれの角野さんが昭和6年生まれの八千草薫さん(この方もタカラジェンヌでした。)と夫婦役を演じたことがあったのだそうですが、その時は口にこそ出さないが複雑な気分だったとのことでした。実年齢の開きが17年程度でもそう思うのですから、市川段治郎も舞台上で複雑な気分だったのかもしれません。

(昭和30年生まれの)高橋恵子扮する芸者清葉にもそんなシーンがありました。雪の中で凍えている5歳ぐらいの幼女を助けようと「おばさんが・・・」と言った途端、その幼女が清葉に向かって「おばさんじゃないやい、お姉さんだよ!」と返したのです。これには観客席から失笑ではありませんでしたが笑い声が漏れました。56歳になった高橋恵子は“オバサン”どころか実際はもう孫もいる立派なお婆さんさんです。舞台というところはつくづく不思議なところです。

平成22年11月はル・テアトル銀座で、アガサクリスティの「検察側の証人」という浅丘ルリ子主演のミステリーでした。法廷における検察と弁護側の応酬の、日本語にない面白さと二度三度のどんでん返しの驚きとでいいお芝居でした。ただ昭和15年満州生まれ!の浅丘ルリ子も70歳!!になり年を取りましたね。昭和37年生まれの風間とおるとの夫婦の設定(こちらは実年齢差22歳。)でかなり無理してメイクを若く作っていましたがかえって痛々しい感じすら受けました。歌手兼踊り子の時代の回想シーンでは浅丘ルリ子が網タイツをはいたショーガールの扮装で歌って踊ったのですが、歌はともかくも踊りのシーンで足を大きく上にあげるところは、年寄りが“ヨッコラショ”という感じで本人は懸命にやっているつもりなんでしょうが動きに若さとキレがなく哀れな感じがしました。

日本人女性は実年齢より若く見られることにずいぶんとエネルギーを費やしすぎているように私は感じています。衣服や化粧では隠し切れないものは必ずあるので年齢相応の魅力をもっと強調する方がいいのではないかと考えています。若さイコール美ということでは必ずしもなく、50歳の女性には50歳の魅力、70歳には70歳の魅力があるはずなんですけどね。素敵に年齢を重ねている(“皇潤”のおかげだけではないと思いますが)八千草薫さんや、故人となりましたがオードリーヘップバーンのように。