あの3.11大震災から三週間ほどたった平成23年4月初めごろのこと、やっと復旧した水道を使って事務所の玄関前で洗い物をしていたところ、かなり高齢の老婆がヨチヨチと歩きながら私に近づいてきて「今Cタクシーを呼んだがさっぱり来てくれない。」と言いながらKさんと名乗ったその老婆がCタクシーの電話番号を書いた紙切れを私に手渡すのです。
道路や空き地のそこかしこに瓦礫がうず高く積まれて足元の極めて悪い中、足元のおぼつかないこの老婆はよく歩けたもんだと感心しながらCタクシーに電話をしてみたところ配車係の人が「そんな電話は受けていないがなー」と言いながらすぐ南中里の当事務所に車を差し向けるとのことでした。Cタクシーの本社の場所は知っているので5分から10分ぐらいかかると思っていたら1分もたたないうちに車がやってきたのです。しかも普通なら事務所の右方向(内陸側)から来るはずなのに左方向(海側)から来たので向かい側の道路までその老婆と一緒に左右の車に注意しながら渡って間違いなくCタクシーの車に乗せて送り出し、再度洗い物作業に取り掛かったところに又Cタクシーの車が今度は右方向から来たのです。
えっ何か忘れ物?なんで二台も来たの??と訝りながらその二台目の運転手にさっきCタクシーの車が来て依頼した老婆を載せてやった旨を伝えたら「そんなはずはないなー」と言いながらCタクシーの配車係に無線で連絡、やはりその一台しか差し向けていないということでびっくりした配車係は全部で10台ほどしかないCタクシーすべての車に無線で今南中里からこのような老婆を載せたかどうかを聞いてみたのですが該当する車は一台もありませんでした。後日このCタクシーに勤務する私の親類にも尋ねてみたのですがやはりそのような事実は確認できなかったとのことでした。
今回の大震災で宮城県では平成24年1月13日現在で死者9,505人行方不明者1,806人の合計11,311人が犠牲になっています。九死に一生を得た人の経験談を聞くと身の毛がよだつものばかりです。腹まで水に浸かりながら高台に歩いて避難していたら足の感触から間違いなく水の底に沈んでいた人間の死体を踏んだとか、自宅の庭に死体が四日間も浮いていたとか、車ごと津波に流されてお寺の墓石の上に引っかかって止まったものの同様に墓石の上に引っかかった他の車が突然火を噴いたので慌てて水の中に逃れたとかいう話などなど。
ある銀行の沿岸部の支店では地震直後高台への避難指示が遅れ、津波が間近に迫ったときには支店の屋上にしか避難できず、その屋上をはるかに超える津波に10数人の行員全員が呑み込まれ若い男子行員一人を残して皆死亡或いは行方不明になったそうです。当事務所の関与先の社長の一人娘さんもそのうちの一人で震災さえなければその三か月後に結婚を控えていたのだそうです。(いまだに遺体が見つかっておらずこの社長にかける慰めの言葉が見つかりません。)
飲まない打たない買わない無趣味な人間である私のほとんど唯一の趣味(常々家内からはお前は唯一が多すぎる!と言われておりますが。)が歌舞伎を中心とした観劇です。歌舞伎の怪談噺は東海道四谷怪談や牡丹燈籠、真景累ヶ淵などいくつかありますが、その多くが非業の死を遂げた人が幽霊となって犯人に復讐する筋立てで幽霊は人間に仇なすものとの印象が強くそのシーンがメインであるかのように思われがちです。しかし歌舞伎が描きたかった恐怖というのは幽霊の復讐劇ではなくそこに至らせてしまう色欲や物欲といった人間の“業”にこそあるのだと私は考えています。
ところで幽霊とお化けの違いをご存知でしょうか?美人が死ぬと幽霊になってブスが死ぬとお化けになるというのは落語家の言う話で、人間が死ぬと幽霊になり動物がお化けになるんだそうです。したがって“猫の幽霊”というのは誤りで、正しくは“猫のお化け”という表現をします。
私は物理的存在としての幽霊は基本的に信じませんが、二年ほど前に大正生まれの私の叔母が軽い痴呆症で寝たきりになったことから市内のある老健施設に入所したのでお見舞いに行った際に、そのような場所に全くそぐわないような和服を着こなした小柄で大変きれいな老婦人がおり、誰にも入所を伝えていないはずだがなと思いながら挨拶をしました。ベッドに横たわったままの叔母は「この人は自分の女学校時代の同級生の“Y子ちゃん”で私の実家近くのM屋旅館の娘なのよ。」と紹介してくれたので、私は“Y子ちゃん”の存在は知りませんでしたがM屋旅館は知っていますので何の違和感もなく数分の会話をしました。ところが後日実家に寄った際にこの話をしたところ“Y子ちゃん”は7~8年前に亡くなっており葬式も済ませたとのことでびっくり仰天と同時に背筋に冷たいものが走ったのを覚えています。その後この老健施設に入所していた叔母は事情があって行方不明になり現在でもその生死すらわからない状態なので真相を確かめる術は失われてしまいました。私が会ったあの“Y子ちゃん”は夢でも何でもありません、普通の見舞客として確かにあの病室に存在して私と短いながら会話をしていたのです。いやもしかすると六人部屋だったあの病室で“Y子ちゃん”が見えていたのは私とベッドに横たわる叔母だけで他の入所者や見舞客には見えておらず私たち二人が虚空に向かって話しかけていると感じていたのかもしれません。
Kさんという老婆の時もおんなじで事務所前を道行く人や通る車の運転手達は、Kさんが見えないで私がパントマイムでもやっているのではと不思議に思ったかもしれません。
普通の幽霊は、ただそこに存在するだけで歌舞伎の幽霊のように簡単に人間に仇を為したりはしないもののようです。“Y子ちゃん”と“Kさん”との体験の後も特段私や家族・身内に災厄が降りかかったということはありません。
今回の震災で命を落とした多くの人達は自分がなぜ死なねばならなかったのか或いは自分が死んだことすら気が付かずに我家に帰ろうとしており、あのKさんを名乗った老婆も そして乗り込んだあのタクシーも(現実にCタクシーも数台犠牲になっているそうです。)この世のものではなかったのかもしれません。
震災の犠牲になった多くの人々に合掌。
東京税理士会神田支部広報誌「かんだ」平成24年新年号に寄稿した文章です。