平成29年7月の紀伊国屋ホールは忠臣蔵を題材にした井上ひさしさんの「イヌの仇討ち」でした。忠臣蔵は江戸時代から明治・大正・昭和を経て平成の今日でも善玉大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を首魁(しゅかい)とする赤穂浪士と悪玉吉良上野介(きらこうずけのすけ)を巡る人気の物語です。NHKでも昭和39年長谷川一夫主演「赤穂浪士」、昭和50年江守徹主演「元禄太平記」、昭和57年緒方拳主演「峠の群像」そして平成11年中村勘九郎(当時)主演「元禄繚乱」と四回も大河ドラマで取り上げています。そして吉良上野介役は滝沢修、小沢栄太郎、伊丹十三、石坂浩二とそれぞれ悪役をやらせると超一級の役者ばかりです。映画や民放のドラマも同様です。
私も小学生の時分から悲劇のヒーローとして源義経、楠木正成、そして大石内蔵助の三人がまさに判官びいきも相俟って大好きな人達でした。これに対する悪役側は言わずと知れた平清盛・源頼朝、足利尊氏、そして吉良上野介(以下親しみを込めて吉良さんと呼びます。)です。これら悪役たちが小説や漫画、テレビドラマなどで悲劇のヒーローにひどい仕打ちをするたびに子供心になんて悪い奴なんだと悲憤慷慨したものでした。
元禄15年(旧暦)12月14日(1703年1月30日)赤穂浪士が本所松坂町にあった吉良さんの屋敷に討ち入り見事本懐を遂げますがその45年後の寛延元年(1748年)に歌舞伎の仮名手本忠臣蔵が上演され江戸庶民に大好評を博します。それ以降手を変え品を変えいかに赤穂浪士が苦難の末に本懐を遂げたか、吉良さんがいかに悪い奴かを観客にアピールすることに劇作家たちは腐心し続けました。吉良さんが浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の奥方顔世御前(かおよごぜん)に横恋慕して振られたとか賄賂が少なかったのに腹を立てて内匠頭に意地悪をしたとか後世の劇作家たちが知恵を絞って考案した様々なシーンはそのどれどれも史実や資料で裏付けられるものはなくほぼ全部創作なのです。有名な“南部坂雪の別れ”や“赤垣源蔵徳利の別れ”なども当然のように史実ではありません。
可哀想なのは吉良さんです。松の廊下の刃傷では吉良さんに落ち度はなかったはずです。勅使饗応役の指導に対する賄賂が少なかったために吉良さんが内匠頭に意地悪をして饗応の作法を教えなかったなどは全くの創作で、第一 内匠頭が勅使饗応の際に失態を犯せばいわば総監督である吉良さんの失態にもなるためそんなことはあり得ないのです。浅野内匠頭には精神を病んでいた(これは史実だそうです。)ため(真相は誰もわかりませんが)勅使饗応役のストレスから突然錯乱して吉良さんに切りつけた可能性も十分考えられます。対する吉良さんは小刀を抜いて応戦もできたはずですがそれをしませんでした。一説には喧嘩両成敗という法律があるから我慢した(応戦しなければ喧嘩にならず自分が罪に問われることもない。)とも言われています。とにもかくにも内匠頭は五代将軍徳川綱吉の意向で即日切腹、吉良さんにはお咎めなしどころかお褒めの言葉まで賜ったとか。これが大石内蔵助はじめ赤穂浪士には気に食わず吉良さんを仇として狙ったのですが、ちょっと冷静に考えるとおかしなことに気が付きます。吉良さんの方が内匠頭を殺して将軍綱吉に許されて生きながらえるのであれば赤穂浪士にとって吉良さんは主君の仇ですが、そうではなく内匠頭が刃傷に及んだ咎(とが)で将軍綱吉によって切腹を言いつけられたのです。だから赤穂浪士が仇とすべきはホントは将軍綱吉じゃないかと思うんです。誰かが世論操作をしたのかどうかわかりませんが江戸庶民の間では“内匠頭可哀想だ!吉良さん憎い!!”という風評が立ち込め、とうとう刃傷から1年数か月後に47人の赤穂浪士によって吉良さんは殺されその首が浅野内匠頭の墓所泉岳寺に供えられるのです。これは仇討ではなく復讐・意趣返しもっと言うなればテロの類ではないかと考えられないこともありません。
吉良さんは現在の愛知県西尾市吉良町の殿様で地元では名君として庶民にも慕われた立派な殿様だったそうです。その吉良さんが討ち入り後300年余りも悪役としてこれでもかこれでもかと取り上げられ日本国民の留飲を下げる敵役になるとは、その無念たるや察するに余りあります。
もう一人可哀想な人がいます。赤穂藩の有能な家老で大野九郎兵衛(おおのくろべい)です。この家老は討ち入りに参加しなかったばっかりに大石内蔵助と比較されて卑怯な奴というレッテルを張られます。兵庫県赤穂市に浅野家の菩提寺華岳寺(かがくじ)がありますがこのお寺の門の前に大石内蔵助をたたえる“忠義桜”があり、対をなすように大野九郎兵衛を辱める“不忠柳”と名付けられた柳が植えられています。家老大野九郎兵衛もまた300年たってもいまだに不忠者として貶められているのです。あの世で吉良さん同様たまらない思いでいまだに地団太を踏んでいるにちがいありません。
さてお芝居の「イヌの仇討ち」です。赤穂浪士に討ち入られた吉良さんは側室と女中、お供の侍三人と共に屋敷の中の隠し部屋に浪士たちに見つからないように逃げ込みます。逃げ込んだ吉良家の人たちの会話とその心理の変化だけでこのお芝居が展開されるのですが、吉良さんは皇室や将軍家の信任も厚く諸大名に礼儀作法を教えまた領民のために一生懸命働いてきた自分がなぜ狙われるのかわからないと(上述したような)理不尽さを嘆くのですが、結構そのセリフには説得力があって思わず聞き入ってしまいました。さらに討ち入りを知らずにこの隠し部屋にノコノコ忍び込んだ空き巣も現れ、事情も知らず無責任に討ち入りを期待する江戸庶民の声を代弁するのです。江戸庶民がインフレと天下の悪法“生類憐みの令”で息が詰まる思いをして暮らしているのを少しでも和らげようと幕府も討ち入りをするように仕向けているのではないかと吉良さんは気が付きます。お上から一般庶民まで何の落ち度もない(と吉良さんは考えている。)自分を様々な理由をでっちあげて生贄にしようとしていることを自覚するのです。このお芝居最後の方の吉良さんのセリフに「いつか誰かが上野介の、今の心を読み取ってくれるかもしれぬ。」とありました。もちろん作者井上ひさしさんの創作ですが、ほんとに吉良さんが今わの際にそう言ったんじゃないかとすら思えるぐらいにリアルに響きましたね。大丈夫ですよ、吉良さん。石巻の片田舎のカイケーシが、ちゃんと吉良さんの心を読み取りましたよ。少しは心安らかに。