月亡くなったばかりの麻央ちゃんの四十九日すらまだだというのに夫である当代市川海老蔵丈はこの七月大歌舞伎では昼の部も夜の部も全部のお芝居で主役をはりセリフも多く出ずっぱりでした。夜の部通し狂言「駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)」では日本駄右衛門と玉島幸兵衛そして神様の秋葉大権現の三役を勤めました。長男堀越勸玄(かんげん)君4歳の初舞台ということでも話題を集めています。母親の麻央ちゃん、どんなにか息子の初舞台を見たかったことか。せめてあと一か月生延びることができればなと歌舞伎座1900人満員の観客は全員そう思ったはずです。三階席までぎっしりの観客席ですが最前列の私の真後ろの席だけどういう訳か誰も座っていないのです。ネットやダフ屋の間でプレミアがつくほどのプラチナチケットです。よほど歌舞伎座に足を運べない事情があったのでしょう。実はこの“お芝居礼賛ぱあと30”で同じことを書いています。平成25年4月のあの時は18代目中村勘三郎の孫七緒八(なおや)君2歳の初舞台でしたが私の左隣の席が空いていたのです。この席に私は亡くなった勘三郎の霊が座って舞台を観ていると感じましたが、今回は私の真後ろの席で麻央ちゃんの霊がニコニコそしてはらはらしながら長男勸玄君の初舞台を見守っているような気がしてなりませんでした。私の後頭部にモワーッとした霊気を感じたのは気のせいか。

勸玄君は遠州秋葉大権現のお使いの白狐(びゃっこ)役です。花道から4歳の勸玄君がトコトコ走ってきて両手をいっぱいに挙げて「勸玄白狐おん前に」と海老蔵扮する秋葉大権現の前で声を張り上げた時はもう万雷の拍手と涙涙でした。そしてそのあと秋葉大権現はお使いの白狐を招き寄せしっかりと抱きかかえて宙乗りを披露して三階席の奥に消えていきました。勸玄君はお父さんと共にワイヤでつるされてかなり高い歌舞伎座三階席まで宙乗りをしたにもかかわらず怖がる風もなく二階や三階のお客さんに小さな手を振る余裕すら見せてくれました。もう割れんばかりの拍手です。このときだけは、“しまった!勸玄君をより間近く見ることのできる二階席か三階席の花道寄りの席を取っておけばよかった!!”と思いましたね。

お芝居の中で海老蔵扮する玉島幸兵衛が中村児太郎扮する自分の女房お才を手にかけてしまい、瀕死のそのお才を幸兵衛は強く抱きしめながら「現世の夫婦は短くも、来世は必ず長きに夫婦」「草葉の陰で見学いたせ」と絞り出すような声をかけるのです。息も絶え絶えのお才は「嬉しうござんす、こちの人」と言って絶命します。海老蔵はきっと児太郎扮するお才ではなく麻央ちゃんを目の前に見てこのセリフを吐いたに違いありません。プライベートの悲しみを微塵も見せず、立派に舞台を勤めあげた海老蔵親子に気が遠くなるようでした。

ところで7月の明治座は有吉佐和子の名作「ふるあめりかに袖はぬらさじ」でしたが、このお芝居に横浜の遊郭岩亀楼の仲居として出演している鷲尾真知子という女優がいます。この女優さんのご主人が中嶋しゅうという舞台俳優なのですが、7月6日の東京芸術劇場の舞台出演中に急性大動脈解離で倒れ病院に救急搬送されるもそのまま亡くなったのです。享年69。鷲尾さんは舞台に穴をあけるわけにはいかないので明治座の舞台が休演日の7月12日に夫の葬儀を執り行いました。女優の渡辺えりや俳優の岡本健一ら500人が参列したそうですが、私は彼女が出演した「ふるあめりかに・・・」をその葬儀のわずか3日後に見ました。夫の死を全く感じさせないコミカルな役を変わらずに熱演して笑いを取っていました。なんという因果な稼業なんですかね、役者という商売は。中嶋しゅうさんに合掌。