平成29年8月歌舞伎座第一部のもう一本は、本名の波野七緒八(なおや)から今年三代目を襲名したばかりの中村勘太郎君6歳による“玉兎”という10分ほどの舞踊劇でした。18代目中村勘三郎丈の初孫で当代勘九郎の長男です。歌舞伎ファンにとってはもうそこにいるだけでありがたくなる神様のお使いのような存在と言ったら大袈裟か。

 頃は中秋の名月、舞台上に設えた大きな黄色い真ん丸なお月さまの中に勘太郎君が影絵となって餅つきを始めた時はもう歌舞伎座1900人満員の観客から万雷の拍手です。影絵だけでこの有様ですから、勘太郎君はホントに神のお使いじゃないかとすら思ってしまいますね。その満月から飛び出して観客の目の前に現れ臼と杵で餅をつく結構複雑な踊りを上手に演じ切りました。思えば4年前の平成25年4月新しい歌舞伎座が開場した時に叔父の中村七之助に手を引かれ当時まだ2歳だった七緒八君が初めて舞台に上がったときから4年たって十分お客さんを引き付ける芸を身に付け始めたようです。平成24年12月に亡くなった勘三郎丈がどんなにか目を細めてあの世から孫の晴れ姿を見つめていたことか。

いやあの世からではありません。三階席までぎっしりの超満員の歌舞伎座ですが最前列に座る私の左隣の席が空いていたのです。“私のお芝居礼賛ぱあと30”にも書いたのですが平成25年4月の新しい歌舞伎座開場の際の七緒八君初お目見えの時も最前列に座る私の席の左隣が空いていたのです。その時亡くなってわずか五か月の勘三郎丈の霊がその空いている席に座っていると感じましたが今度も同じです。プレミアがつくほどのプラチナチケットですから歌舞伎座に来られない余程の事情があったんだろうなとは思ったのですが、もしかすると18代目勘三郎丈の霊のために勘太郎君出演の時はわざと最前列の一席だけ一般には販売しないのでは?とありえないようなことまで考えたのでした。

臼と杵で餅をつくなぞ平成の御世ではほとんど見かけることがなくなりました。そんな中で餅をつく仕草の舞踊をしなければならないのですから演者は大変でしょうね。勘太郎君の餅つき姿もどこかぎごちないように感じました。ずいぶん昔18代目勘三郎丈がまだ勘九郎と名乗っていた時期に、土手に立って空を飛ぶトンビの姿を目で追う場面が何度やってもうまくいかなかったそうです。東京の大都会に生まれた人は“トンビがくるりと輪をかいた、ホーイノホイ♪”というような情景を見る機会がなかったからなのでしょう。臼と杵による餅つきも同様です。ただ幸いなことにお客さんの方も似たり寄ったりのはずですからリアルさを求めるのではなくそれらしくあればいいのですよ。これから精進してください、勘太郎君。

ウフフかなり上から目線の物言いですが、あなたのお祖父さんの若いころの舞台とお父さんの初舞台を見ている長年のファンですから許してね。先月歌舞伎座で初舞台を踏んだ当代市川海老蔵長男勸玄君と良きライバルにもなってくださいね。