平成30年6月の歌舞伎座夜の部は、欲にまつわる因果を怪談仕立てで構成した宇野信夫作「巷談宵宮の雨(こうだんよみやのあめ)」でした。この戯曲は昭和10年9月歌舞伎座で初演された昭和世話物の名作で六代目菊五郎(当代勘九郎の、いおじいさんです。)が主人公の生臭坊主龍達を勤めました。

粗筋は、幕末の文政年間江戸深川で好色で金に異常に執着するどうしようもない破戒坊主龍達が最底辺の貧乏長屋で甥の太十の世話になっているのですが、太十はこの叔父が持っている大金を目当てに引き取って世話しているもののわずかな金しか謝礼をもらえなかったために怒って龍達を毒殺します。龍達には15歳になるおとらという娘がいますが太十によって(龍達に内緒で)70歳にもなろうかという藪医者久庵の妾奉公に出されるものの、当然に嫌で嫌でたまらず深川八幡のお祭りを見てから川に身投げをして死んでしまいます。毒殺された龍達は醜く赤黒くはれ上がった顔の幽霊となって太十とその女房おいちをとり殺し、薄幸のまま死んだ実の娘おとらの死骸の前で手を合わせて幕となります。(幽霊が死体に手を合わせる!)

“講談”は軍記物やお家騒動などいわば公(おおやけ)の話なのに対して“巷談”の方は巷(ちまた)の話ですので、この「巷談宵宮の雨」には貧しい市井の人達の暮らしぶりが随所に紹介されています。耳が遠く仕事嫌いの棺桶職人や太十の昔の仲間で今は中風で半身不随になりながらも生きるために石見銀山猫いらず(殺鼠の薬)売りをしている元やくざ者など江戸庶民の生活が垣間見える興味深いシーンがスパイスのように織り込まれています。

原作者宇野信夫は「菊五郎百話」の中で「宵宮の雨」の稽古中六代目は“どうも嫌なじじいだ”“下等な奴だね”“こいつぁーたまらないね”そんなことを言っては周りのものを笑わせた。しんからこの龍達という下品で色好みでケチな坊主に興味を持ち心底からその人間になりきってくれた。と感謝の文章を書いています。昭和を代表する歌舞伎役者が苦心して創意工夫を凝らし破戒坊主龍達をこしらえたのですからこの作品は当然の如く六代目菊五郎の当たり役となり戦後は娘婿の十七代目中村勘三郎(当代勘九郎のおじいさんです。)の龍達で何度も公演されます。そして平成6年8月に十八代目勘三郎(もちろん当代勘九郎のお父さんです。)が(残念ながら龍達ではなく)太十を演じています。今からもう24年も前になりますが、この時の「巷談宵宮の雨」は私にとって歌舞伎作品のベスト3に入るほどの素晴らしい舞台だったのを記憶しています。その時の龍達は人間国宝の中村富十郎でしたが、たまらないぐらいに嫌らしく下等で下品な龍達を(六代目もかくやと思われるぐらいに)見事に勤めていましたし十八代目勘三郎もどこか憎めない太十を好演していて両者の掛け合いが観客の笑いを誘い、しんみりとさせ、そして後半は怪談となって恐怖を表しました。(なろうことなら十八代目の龍達を見たかった!)そのうち当代勘九郎も龍達か太十を勤めることになるものと思います。

さて今月の中村芝翫の龍達と尾上松緑の太十による舞台ですが、はっきり言って全く駄目でした。当代芝翫は京都を紹介する番組のナビゲーターを勤めるほど知的でさわやかな好男子です。残念ながら龍達のイメージとはかけ離れており、案の定と言うべきか下等で下品な感じを思うように表現することができませんでした。(断定口調でキョーシュク!)太十の住む貧乏長屋の部屋で皮膚病にかかって体中痒くてたまらない龍達が腕から頭からガリガリ掻きむしり剥がれ落ちたその粉を団扇で払うシーンがあり、太十と女房おいちも自分たちの方に飛んできそうなその粉を慌てて団扇であおぎ返すのですが、富十郎と十八代目勘三郎のとき観客席は爆笑に次ぐ爆笑でした。しかし今回芝翫・松緑とも役者が不足だったのかどうか、その可笑しみがそれほど伝わってきませんでした。金への執着も実の娘を思う気持ちも今一つです。芝翫と松緑の配役は完全なミスキャストでしたね。たとえ名作であっても演じる役者に恵まれないと芝居が輝かない好例だったような気がします。(エラソーですいません‼)

私に配役を任せていただけるなら、重厚でアクも併せ持ちながらコミカルな空気も醸し出せる市川猿之助に龍達を、歌舞伎役者にしてはちょっとブオトコで人間の性(さが)むきだしの中村獅童を太十に起用してみたいところです。(受け取りようによっては、猿之助ファンと獅童ファンに怒られそうですが!!!)