平成最後の歌舞伎座夜の部は澤瀉屋(おもだかや)家の芸である猿翁十種の「黒塚」でした。この芝居は奥州安達ケ原の鬼婆伝説を素材とした舞踊劇で当代(四代目)市川猿之助の曽祖父である二代目猿之助(昭和38年没)が昭和14年に初演しました。

物語りは奥州安達ケ原(現在の福島県二本松辺り)で旅人を泊めてはこれを殺して生き血を吸い人肉を食らっていた(そうなるほど悲しく凄絶な過去を背負っていた)鬼女岩手が、たまたま泊めた紀州の高僧阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)により「罪障も仏法によって消滅する。」という言葉を聞いて、自らが犯していた罪業を悔やみ続けている中で一条の光を見出すのです。そして月明かりに冴える茫々の芒の原で何十年ぶりかで心軽やかに踊るのですが、しかし祐慶たち一行が老女岩手は実は鬼婆だと気が付いて一目散に逃げる姿を見て裏切られた思いの岩手は鬼女の本性を取り戻します。そして悪鬼となって祐慶たち一行に襲いかかるのですが、法力によってついに消え去るというものです。

外題の“黒塚”とは“黒”は闇→魔物を表し、“塚”はお墓のことですから、鬼女のお墓という意味になります。 

この芝居は老女岩手がその正体を隠して祐慶一行をもてなそうとする顔のつくりと、祐慶の言葉によって魂が救われる可能性を見出した嬉しさのあまり踊る時の表情、そしてそれが裏切られた時の悪鬼の形相、さらに祐慶の法力によってついに消え去るときのデスマスクのような顔が全く異なります。

岩手を演じる役者は短い舞踊劇の間にこの四つの顔を化粧も変えて演じ分けなければならないのですが、平成246月に四代目を襲名した当代猿之助はこれを様々な工夫も凝らしながら見事に演じました。当代は三代目猿之助の甥で、前名を市川亀治郎と名乗っていましたが、私はその当時それほど注目はしていませんでした。(エラソーですいません。)ところが四代目を襲名して当代猿之助になってからはこちらがそういう目で見るからかどうかあれよあれよという間にその才能を開花させてその名に恥じぬ歌舞伎役者に駆け上がったような気がします。素質にも恵まれ努力家の彼は、慶應大生時代よりかの梅原猛を崇拝し一時期日経新聞にエッセイも連載し、今では宗教・哲学・歴史を中心とした蔵書家としての顔を併せ持つまでに至っています。歌舞伎のほかにも現代劇やテレビドラマ・CM、映画などにも積極的に出演してその芸に磨きをかけている如くです。

“地位が人を作る”とよく言われますが、市川亀治郎から四代目猿之助を(多分すったもんだの末)襲名した瞬間に何かがはじけて大きく成長し始めたのではないかと私は考えています。(せっかくの大名跡を継いでもパッとしない人も少なからずいますが。)大名跡を襲名するのは歌舞伎界にとっても一大イベントですから積極的にPRして興行成績につなげようとするのは自然な成り行きです。当初は実力が伴わなくても脇役が盛り立てようとしますし、ファンも暖かく見守り応援します。そして気が付いた時は押しも押されぬ立派な歌舞伎役者に成長しているということが、歌舞伎界では何百年も繰り返されてきたのです。

ところがたった一人の芸である落語はこうはいきませんね。明治以降数々の名人が誕生しましたが、三遊亭圓朝(明治33年没)・古今亭志ん生(五代目、昭和48年没)・三遊亭圓生(六代目、昭和54年没)などの名跡を継ぐ人は今のところ出ていません。あまりにも傑出した落語家であったために、後輩の噺家はおこがましくって畏れ多くってその名前を継げないのではないかと私は考えています。高座に座れば自分一人ですから脇役が応援することもできませんし目の肥えた観客にはうまいか下手かすぐわかります。

落語界における大名跡桂文楽の九代目を平成4年に襲名した(前名)桂小益は、当時半ば当然のように「大看板の安易な襲名だ!」と各方面から批判を浴びたようです。故立川談志さんもかなり厳しい口調で批判していたのが耳に残っています。私は今でも彼の写真や映像が出てくると桂文楽ではなく桂小益の名前の方が先に浮かんでしまいます。桂小益は過去にカップ焼きそばのテレビCMや演芸番組にも出演していてそこそこ顔は売れていましたが、落語に関しては八代目桂文楽さん(昭和46年没)には到底及ばないことは落語ファンなら誰でもわかっていたのです。

桂文楽襲名に伴う騒動が起きたことを謝罪するために当時の落語協会会長柳家小さんのもとを訪ねると「これからもっと辛いことがあるというのにここで挫けてどうする!」と叱咤激励されたと言われています。いい話です。

全くの私見ですが、九代目はこれをバネに努力と精進を積み重ねて“文楽”の名にふさわしい実力と人気を勝ち得たなら美談になりえたのでしょうが・・・・・。 

その点、歌舞伎役者は幸せですね。上方落語界の名人故桂米朝さんの枕に「顔のきれいな子ができたら役者にしいや、まずけりゃ噺家にでも」というのがありましたが、歌舞伎役者は少々不細工顔でも化粧でどうにでもなるようです。昔毒舌で鳴らした女漫才師のギャグに「八代亜紀の化粧は大林組が担当している。」というのがありましたが、まったく建築もどきピクチャーと言ってもいいのではないかとすら思うほどに、捏ね上げ、描きたおし、作り込んだうえに舞台のきらびやかな背景画、生演奏のBGMや強い照明の効果もあってほぼどんな役者でも美形に見える(それでもたまにはアララ!という顔立ちもありますが?)ようになります。また観客も親の大名跡の襲名を心待ちにするんですね。将来どうなるのか又役者としての才能があるのかどうかすらわからない幼児が舞台に立つだけで感激・感動するんですから。(恥ずかしながら私もその一人です。)

令和元年5月、当代菊五郎丈の孫丑之助くんが歌舞伎座で初舞台を踏むんだそうです。多くの観客はきっと初舞台のその日から遠い将来の九代目尾上菊五郎の襲名を予感することでしょう。同じ九代目の噺家桂文楽との落差に呆然とする思いです。当代文楽さんにちょっと同情したくなりました。桂小益じゃあなかった、今の文楽ガンバレー!