( “盲目物語” その四 )

“盲目物語”に副題をつけるとすれば“お市を巡る4人の男達”とでもなりましょうか。織田信長の妹に生まれ絶世の美女と謳われたお市の方は、政略結婚とはいえ近江の国小谷城主浅井長政に嫁いで幸せな日々を送ります。もし長政が信長を裏切ることなく最後まで織田家と同盟関係を保ち続けていればお市の方の生涯は全く違ったものになったかもしれません。しかし歴史のいたずらか信長を裏切った長政は一族と共に滅ぼされ、お市の方の運命もこの後翻弄されることになるのは“その一”と“その二”に記したとおりです。

宇野信夫脚本の歌舞伎“盲目物語”は、お市と夫婦になった浅井長政と柴田勝家は攻め滅ぼされ、お市を慕いぬいた盲目の弥市は落ちぶれ果て、お市が嫌いぬいた羽柴秀吉はお市をわがものにできなかったもののお市の娘お茶々(後の淀の方)を側室にすることで自分の思いを遂げ天下人に昇りつめるという、片や栄耀栄華を極めた人生と片や辛酸をなめつくした人生という両極端な対比の妙も伝わってくるストーリーとなっています。

娘というものは若いうちはともかくもある程度年齢を重ねてくると母親に似てくることが多いようです。秀吉にすれば我がものにしたくてたまらなかったお市は秀吉より10歳年齢下ながら考えようによってはいわば浅井長政と柴田勝家の手垢のついた中年女であり、その実の娘で30歳も年齢下のお茶々を自分の側室にすることでお市の面影も重ね合わせて自分の長きにわたる恋が素晴らしい形で成就したと有頂天になったであろうことは想像に難くありません。しかし淀の方を側室にして10年で秀吉は亡くなりその後は淀の方も豊臣家も悲惨な最期を迎えることは歴史の教えるところです。つまりお市の方を巡る(弥市を除く)3人の男たちとその一族はみんな哀れな末路を迎えることになるのです。

弥市はどうでしょうか。近江小谷城で薄幸の母娘に甲斐甲斐しく仕えるうちに芽生えた恋慕の情を胸の奥深くしまい込みながらお市の方の身体を揉み療治で癒し、得意の三味線などの芸事でその無聊を慰め、表面的には快活に振舞って5人の子供たちにも好かれた弥市でした。小谷城落城の折、長女お茶々の手を引いて逃げるうちその手が慕っているお市の若いころのなまめかしい肌触りと全く同じだと気が付いた時、弥市は錯乱状態に陥り「いつまでもおそばにおいてください。」とお茶々に狂おしくすがりついて懇願します。もちろん身分卑しい盲目の按摩風情が叶うはずのない恋だということは十分承知しているのですが、お市の方が自害した今、弥市にとってお茶々が自身唯一の希望の女性になったのです。しかしいつもひょうきんで優しかった弥市の異常な突然の振舞いに、幼いお茶々が恐怖を覚え逃げ出すのもまた当然のことでした。弥市の悲嘆・絶望如何ばかり。

盲目の人は五感のうち視覚が備わらないだけで残りの聴覚・味覚・嗅覚・触覚は健常人には想像もつかないほど敏感で、常に研ぎ澄まされていると言われています。特に按摩さんの手指は、相手の肌に触るとその心のうちまでわかるほどに感性豊かなのだそうです。

もちろん身分制度厳しい戦国の世に、誇り高きお市の方が生前に弥市を普通の男として見ていたはずはありません。(犬や猿並みに考えて接していたと言ったら言い過ぎか。)だからこそ安心して自身の体を揉ませて自分や子供たちの近くにも常においていたのです。

そういえば昔浪越徳治郎という指圧師がいて、昭和29年新婚旅行で日本を訪れたアメリカの女優マリリン・モンローが胃痙攣にかかった際に指圧して直したことがあったそうです。テレビ番組で浪越は「そりゃもうとにかく綺麗な方でしたよ。いつもより三倍ぐらい時間をかけてしまいました。アハハハ!」と笑った後、指圧の際にモンローが全裸だった(シャネルの5番をつけていたかどうかは分かりません。)ことを明かし「きっと我々日本人を人間とみておらず、犬猫と同じに考えて恥ずかしいと思わなかったんじゃないかな。」と語っていたことが思い出されます。

零落した(18代目勘三郎丈扮する)弥市が昔を懐かしんで琵琶湖畔で三味線を弾き

「思うとも その色 人に知らすなよ。 思わぬふりで 忘るなよ。」

というその当時の俗謡を、少しかすれた声で悲しげに唄います。“お市の方をどんなに慕っても誰にも悟られないように。そして慕わないふりをしているうちにお市の方を忘れることがないように。”という弥市の切ない思いが伝わってくるような哀調を帯びた俗謡でした。

そして歌舞伎座舞台にしつらえられた琵琶湖の上に(当代玉三郎丈扮する)お市の方の亡霊が静かに現れて琴を一緒に弾きます。お市の方は死んで初めて弥市の自分に対する思いを理解し、感謝の意を込めて弥市の三味線に合わせて琴を連れ弾いたのではないかと感じられる一幅の絵画を見るようなラストシーンでした。

結局“お市を巡る4人の男達”の中で、弥市が一番の果報者ということになりましょうか。