平成24年11月10日と12月5日、森光子さんと中村勘三郎丈という人気役者が相次いで亡くなりました。
大正9年生まれ満92歳の森さんはともかくも、昭和30年生まれ満57歳の中村勘三郎丈の早すぎる他界に呆然とする思いでした。
森光子さんの舞台を初めて見たのは平成10年2月の日生劇場での「おもろい女」という戦前戦中にかけて活躍した女漫才師ミスワカナの芝居でした。
そのときもう78歳になっていた森さんの漫才に笑い転げ、ハイライトの“ああ飯塚部隊長殿”の独白のシーンではほろりとした記憶があります。
そのとき共演した役者は漫才相方玉松一郎役の芦屋雁乃助さん(H16年4月7日没)、飯塚部隊長役の名古屋章さん(H15年6月24日没)そして山岡久乃さん(H11年2月15日没)がすでに物故しており改めて14年の歳月を思い知りました。
その後一年に1本か2本程度森さんの舞台を見てきましたが、異変を感じた(ちょっとオーゲサか!)のが平成19年10月の新橋演舞場での「寝坊な豆腐屋」で中村勘三郎丈と共演した芝居でした。
ほんの半年余り前の3月に帝劇で見た「雪まろげ」の芝居の時は感じなかったのですが、「寝坊な豆腐屋」で勘三郎丈の母親役を演じた森さんに持ち前のしゃきしゃき感がなくセリフや動作も緩慢で、顔の表情も乏しく口も(見様によってはだらしなく)きちんと閉じられていないのです。
アレッよほど体調がすぐれないのかなと心配しましたが、その年の福岡博多座の「放浪記」公演で名物の“でんぐり返し”を失敗して医師やスタッフからの勧めもあって今後体に負担のかかる“でんぐり返し”を封印した直後だったのです。
87歳になったこの平成19年が森さんの体力と気力が大きく落ちた年だったのではないかと私は考えています。
翌平成20年3月シアタークリエ(旧芸術座)で「放浪記」を見ましたが、体力の衰えは顕著で、森さんが元気なころの「放浪記」と違って座ってセリフを言うシーンが多いように感じられ直木賞を受賞した喜びのあまりの“でんぐり返し”はもちろんなく、万歳三唱に演出が変わっていたのには悲しくて溜息が出ました。
そして私にとって森さんの最後の舞台となる平成21年11月明治座での「晩秋」は森さんが振袖を着て歌うシーンもあったのですが、焦点が定まっていなかった目や、顔は笑顔でもとチリはしないかとハラハラしながら取巻いていた脇役たちの様子が素人目に感じられてもう痛々しくてまともに舞台を見ることができなかったほどです。
このように森さんの最晩年の舞台は、体力気力が衰えていく様を目の当たりにした悲しい舞台が続きました。それでも家族の支えもなく小柄で華奢でそんなに美人ともいえない(失礼千万!)森光子さんがこれほどの高齢になるまで主役を張り続け生涯現役を貫き通したことは驚嘆と称賛に値します。心から冥福をお祈り申し上げます。