平成24年12月一年納めの歌舞伎は新橋演舞場での御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)でした。坂東三津五郎扮する弁慶がたくさんの捕り方の首を次々に捩じ切りその生首を大きい桶に放り込んで芋を洗うように掻き回す場面(別名芋洗い勧進帳とも称します。)では場内大爆笑でしたが、本来なら陰惨なシーンになるはずの場面をユーモラスに仕立てあげて笑いを取るという歌舞伎の不思議さに驚くばかりです。

この芝居の中で浄瑠璃を語っていたのが、七世清元延壽太夫さん(十八代目中村勘三郎さんとは同じ六代目菊五郎丈の孫で従兄に当たります。)でした。昭和33年生まれ54歳の当代延壽太夫さんが座る位置の関係でまさに私の真正面にいたのです。ほんの数メートル先で延壽太夫さんの口から私の顔にあの美声がまっすぐに突き刺さってくるようで、舞台上の菊五郎丈や三津五郎丈の所作を見ないでずっと延壽太夫さんの顔ばかり見てうっとりと聞き惚れていました。私はあんまり浄瑠璃の世界は詳しくはないのですが、当代の実のお父さんは六世延壽太夫さん、実のお爺さんの五世延壽太夫さんも高名な浄瑠璃のお師匠さんです。直系の血族で伝統芸能を次の代に継承していくのは素晴らしいことですね。

以前、ある懇親会の席上でS大学の学長さんと親しくお話しする機会に恵まれたことがありましたが、この工学博士でもある学長さんのお父さんが東京で有名な邦楽の家元なのだそうです。有名な邦楽家の家に生まれた息子の取るべき道は二つしかなく、一つは才能のあるなしにかかわらず凄まじい努力でお父さんの跡を継ぐこと、もう一つは邦楽とは全く違う道に進むことなんだそうです。この学長さんは後者の道を選んで工学博士になったということですが、若いころには随分と苦悩と葛藤があったと仰ってました。

邦楽の世界での世襲はファンがそれを望み、芸が血族に継承されることに喜びを感じるからいい(才能のない人が継いでもファン以外に累は及ばない。)のですが、実力がすべてのボクシングや相撲などスポーツの世界ではそうはいきません。ファンがいくら望もうとも本当に強くなければ世界チャンピオンになれません。日本人で親子二代にわたって世界チャンピオンになったボクサーは、世界チャンピオン粗製乱造の今日ですらも全くいません。海外でも聞いたことがないような気がします。この点、勝負の世界ではあっても昇進に日本人的な情が入る(場合もあるかもしれないと言われているような気がしなくもない・・・)大相撲でも同様で、親子二代にわたって横綱を張った例はありません。(大関の親から横綱が生まれ、或いは大関の親から大関になった子の例はある。)つまりなかなか有能な人材が二代三代と続く例は極端に少ないだろうということです。才能のない人に世襲されると 国民に実害が及ぶ政治家の場合は・・・・・。おっと話が横道にそれてしまいました。

12月5日に急逝した十八代目中村勘三郎丈のテレビの追悼番組をはしごしながら、長男の勘九郎丈そして孫のやがて二十代目を継ぐであろう七緒八君にどんなにか期待し可愛がっていたことかと思います。勘三郎丈が、1歳半の七緒八君にあの大きな顔を急に近づけて 「じじいがやってまいりました。何か御用はございませんか。」とおどけて言うと、七緒八君は嫌がって小さな手であっちへ行けとばかりに勘三郎丈の顔を押しのけるんだそうです。それを目を細めて嬉しそうに語る勘三郎丈のついこの間の在りし日の姿にまた涙しました。願わくは七緒八君、どうかお祖父さんのこの言葉と場面を覚えておいてほしいものだと思います。日本全国で勘三郎丈にそう言ってもらえるのはたった一人七緒八君しかいないのですから。20年後ぐらいのインタビューで「うーん覚えてないですね。」と言われそうですが、文豪芥川龍之介は自分の生まれた日のことを覚えているそうです。ほとんどの人はこの話を信じませんが、私は十分ありうると思っています。実はかくいう私も生まれてまだほんの数か月後だと思いますが、部屋の壁際に寝かせられていたのを“あーあ端っこではなく真ん中に居たい”と強く願った記憶が部屋の光景とともにはっきりとあるからです。ほとんどの人は自分の乳幼児期の記憶はありませんが、稀には奇跡のようですがあるのです。七緒八君にも同じような奇跡が起きて、お祖父さんの勘三郎丈の「じじいがやってまいりました。・・・・・」のこの場面の記憶が七緒八君の脳裡に刻み付けられていないものかとひそかに願っています。

再び 合 掌

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