※当事務所のお客さんで早稲田大学出身、西洋史と大相撲とラグビーに造詣の深い方から次のようなエッセイ風のメールを頂戴したのでご本人のご了解を得たうえ当事務所HP上でご紹介します。

「古代ローマと大相撲、そして大学ラグビーの”不適切な”関係」

古代ローマ帝国の衰亡、いわゆる西ローマ帝国の崩壊についてはそれこそギボンの昔から既に語り尽くされている感があるが、その多くの論者が共通して主張している要因のひとつに、”非ローマ人依存の常態化”が挙げられる。

すなわち今でいう3K労働を征服地出身の奴隷に任せ、国境で防衛をつかさどる軍隊も周辺各域でかき集めた傭兵に頼る体質である。このような常態が一般化すればもはや健全ではなくなった肉体に健全な精神が宿るべくもなく、彼らからすれば蛮族でしかなかったゲルマン人の侵入に成す術もなくその歴史から姿を消したのである。

かかる史実を今の国技大相撲にあてはめてみよう。

今や我が世の春感がある外国人力士は、結局のところ”カネ”目当てのいわば傭兵であり、天下を取ったあとの朝青龍にあわてて横綱の品位を求めてももはや時既に遅しなのである。賭博や暴行、無免許運転その他これまであまたの法令違反には必ずや外国人力士の影があり、はたまた大麻使用に至ってはこれまでの角界では有り得なかった不祥事というほかない。

外国人力士など発想だになかった時代、例えば栃錦・若乃花、柏戸・大鵬、輪島・北の湖などのライバル同士がしのぎを削った かの時代には数多の名勝負が繰り広げられた。片や三役でさえほとんど外国人力士に頼っている現状に、果たして記憶に残る名勝負がなされているであろうか。大相撲史上初めて外国人力士同士の優勝決定戦となった平成5年(1993年)九州場所での横綱曙と関脇武蔵丸の一番(引落しで曙の勝ち)を、果たしてどれほどの人が記憶しているであろうか。

これまで手っ取り早く稼ぎ頭を確保すべく集められた外国力士に半ば依存してきた各部屋の親方があわてて国産力士を育成しようにも、いつの間にか”3K”と位置づけられている角界に優秀な人材が集まるべくもなく、仮に集まったところで育成のノウハウを忘れてしまった親方に今さらそれを求めても時既に遅しというほかない。

今の大学ラグビー界ではどうだろう。

大東文化大がトンガより選手を招き入れるはるか前、例えば早明戦ひとつをとっても、新日鉄釜石を日本選手権7連覇に導いた松尾雄治が明治大学一年時のそれで早稲田の公式戦36連勝を止めた伝説のラストパスや、1990年対抗戦グループで明治と共に両校優勝に導いた早稲田/今泉の終了間際の奇跡の連続トライなど記憶に残るプレーには事欠かない一方で、これまで外国人留学生があげたプレーでいまだ記憶に残っているものが果たしてあるだろうか。

百歩譲って社会人ラグビーに視野を転じても、1991年社会人選手権決勝で三洋電機ナモアの追走を振り切り神戸製鋼3連覇を果たしたウイリアムスの決勝トライが、果たしてどれほど記憶に残っているというのか。

先ごろのワールドカップに目を向けても、優勝候補南アフリカ共和国をノーサイド直前のラストプレーで逆転したヘスケスの決勝トライが、将来果たして伝説のトライと成り得るのか。

伝統校以外の特に新興校が広報・宣伝の一環として外国人留学生に頼るのはあくまでもビジネスとしては否定できないものの、非ローマ人に依存したあげくの古代ローマがいかなる末路を迎え、外国人力士に依存したあげくの国技大相撲の現状がいかなるものとなっているのか、大学ラグビー界はそろそろ熟考すべき時期にきていると言える。