“昭和”も随分と遠くなりましたが、それが“明治”となると多くの人は江戸時代同様に教科書で習う歴史の一コマとすら感じるのではないでしょうか。平成171月の三越劇場は、劇団新派公演の明治時代中頃を舞台にした樋口一葉の「大つごもり」でした。文才に恵まれ後の世にその作品が高い評価を受けることになる樋口一葉はしかし、生活苦と自身の病気に苦しみながら明治29年肺結核によりわずか25年の生涯を閉じます。一葉がものした作品は、まだまだ江戸時代とあまり変わらない生活をしていたであろう下層庶民の哀歓が格調高い表現で綴られています。一葉の家は貧乏が日常だったために彼女が書く小説の中では数字とくにお金について2円だとか30円だとかリアルに表現することが多いように思われます。

“つごもり”の語源は「月が籠る(こもる)」つまり月が隠れるということで月末を指しますから“大つごもり”とは1231日の大晦日のことを言います。

「大つごもり」の粗筋は、東京芝白金の大金持ち山村家の大晦日が舞台です。

この家の後妻(2代目水谷八重子扮する)あやが忙しく立ち働いている所に先妻の息子(当時市川月乃介→現2代目北村緑郎)扮する石之助が帰ってきます。後妻のあやは先妻の息子石之助ではなく自分の子供にこの山村の家督を継がせたいと考えており、石之助もそれを充分感じて3年前に家を飛び出しての放蕩三昧、時々嫌がらせのように山村の家に帰ってきては金をせびります。

この家に奉公する(波乃久里子扮する)みねは、養父で病気の叔父夫婦の困窮を助けようとあやに給金の前借りを願うのですが拒絶されます。なんとしても2円というお金を叔父夫婦に届けたいみねは、掛硯(かけすずり)と称する箱の引出しに貸金の回収としてあやがいれていた30円の札束の中から1円札2枚を引き抜くのです。これが露見した際には死んでお詫びをする覚悟で。

夕暮れ時、山村夫婦は石之助に手切れ金50円を渡してとうとう厄介払いすることになりますが、石之助が家を出て行きしな「茶の間の掛硯の中を御覧なさいまし。」と言い残して雪の中へ消えていきます。みねが1円札2枚を抜いたところを見ていたのです。死を覚悟するみね。慌てて掛硯の中を改めるあや。その引出しの中には石之助が書いた「30円も拝借申し候」の紙切れが入っていました。地団太を踏む山村夫婦の傍でみねは、盗みの罪をかぶってくれた石之助に感謝の手を合わせるのでした。

久保田万太郎脚色の「大つごもり」の初演は昭和251月新橋演舞場で花柳章太郎主演でした。この当時、大学を出たばかりの公務員の年収は5万円程度だったそうですから月給に換算すると4千円足らずということになりましょうか。又このころの日雇い労働者を表す名称として“ニコヨン”というのがありました。日雇い労働者の日当が240円だったことに由来しますが、百円が2個と十円が4個ですから2個と4個で“ニコヨン”ということになります。月額に換算すると6千円前後ぐらいでしょうか。

これらを考えると終戦後たった4年余りしかたっていなかった昭和25年当時ですらも、明治時代の貨幣価値を想像するのは困難だったに違いありません。樋口一葉が中島歌子の歌塾の助教として月々いただくお手当てが2円だったそうですが、普通の家族のひと月のお米代にはなったといいます。病気になって稼業の八百屋を続けることができず生活が困窮した養父の子供が必死にしじみを売って稼ぐ金もひと月2円程度だったといいます。

炭を燃料にする調理のための炉を七輪(しちりん)といいますが、これの語源は(1円の百分の一である)1銭の十分の七の7厘というわずかなお金で買える量の炭で煮炊きできることからきています。とにかく明治の中頃、奉公人のみねにとって2円というお金は大金だったはずです。平成や令和の時代を生きる人にとって、明治の2円という貨幣価値を正しく想像できないと奉公人みねの苦悩もなかなか伝わらないかもしれません。

平成の30年間は(数年のバブルを除き)物価が極めて安定して特に中盤から後半にかけては逆に物価が下がるデフレも言われています。日銀や財務省は“デフレ退治”や“インフレターゲット”などを口にしますが、インフレが日常の中で昭和時代を過ごしてきた私としてはインフレーションの方が恐ろしい気がします。“デフレ退治”や“インフレ誘導”のような政策はあまり積極的にしない方がいいと思うのですが、こういう発想は一応会計の専門家ということになっている公認会計士としては失格なんでしょうかね。

インフレが進むと通貨単位の桁数表示が大きくなって経済活動に支障をきたすので通貨単位を切り下げるいわゆるデノミが行われることがあります。例えば10,000円の単位を百分の一に切り下げて新100円にするという具合ですが、最近では平成30年にベネズエラで十万分の一のデノミを実施、平成21年には北朝鮮でも百分の一のデノミを実施したと言われています。

今のところインフレにはなっていない日本ですが、明治・大正・昭和のお芝居の貨幣感覚をよりよく理解するために十万分の一のデノミを実施してさらに“円”の単位の下に“銭”の単位も設けるというのはどうでしょうか。八っつぁん熊さんの世界の落語界からも強力な賛同が得られそうです。一応大義名分は、(“お芝居や落語の理解のため”ではさすがにあんまりだから)そのうち日本に必ずやってくるであろうハイパーインフレに備えて!ということで。

アハハ!やっぱり公認会計士さん失格だ!!