平成25年4月2日小雨降るあいにくの天気の中、新しい歌舞伎座がとうとう開場しました。
歌舞伎だけは歌舞伎座で見るべきだというのが持論の私はこの開場を3年前から心待ちにしておりました。ただチケット代は(杮落し公演だけかもしれませんが)以前の2倍になりましたね。料理屋が店を新しくすると味が落ちるか値段が上がるかどちらかだとよく言われますが、歌舞伎座は(質が落ちることはないにしても)値段が上がってしまったかと苦笑しました。その日の日経新聞コラム春秋欄は次のような文章で締めくくられていました。「18世勘三郎と12世團十郎という失われた大看板2枚に心を奪われながら歌舞伎座に大切なことを考える。伝統、革新、冒険、親しみやすさ。そして、ほどほどの商売っ気・・・・。」
“18世中村勘三郎に捧ぐ”と銘打った「お祭り」という舞踊劇に18代目中村勘三郎の2歳の孫七緒八君が父勘九郎、叔父七之助に手を引かれ花道揚幕から出てきたときには万雷の拍手でした。初お目見えで舞台中央の腰掛にちょこんと座り、むずかることも飽きることもなく目の前で踊る坂東三津五郎の演技を見ながら手に持った扇子を同じように動かしたり小首を動かして見栄を切る仕草をしたりするたびに観客席から小さいどよめきが起きます。私を含め多くの観客はメインの役者の踊りでなく七緒八君を注視していたのでした。私は様々な思いとあまりの感動に大粒の涙が流れましたが、ひょいと見たらなんと右隣の席の人もその隣の客も同様に涙を流しているのです。そのとき思いました、(日経新聞に 揶揄されようとも)こんな素晴らしい感動を多くの観客に与えてくれるんだ、2倍でも決してチケット代は高くないと。
歌舞伎座建替え中のこの3年間に人間国宝の中村雀右衛門、富十郎、芝翫が亡くなりそして勘三郎、團十郎も開場直前に急逝しました。歌舞伎座三階の一角に4世中村芝翫、5世尾上菊五郎を筆頭に明治時代からの物故歌舞伎役者73人の顔写真が並んでいます。私が記憶にあるのは(舞台を直接見たわけではありませんが)昭和50年フグで死んだ8世坂東三津五郎から20人余りですが、昭和63年に亡くなった17世中村勘三郎の顔もありました。言うまでもなく昨年12月に亡くなった18世の実のお父さんです。テレビドラマなどにもよく出ていましたから歌舞伎ファンならずともご存知の方も多いと思います。
ところで三階の端の席までぎっしり満員の会場が、どういうわけか私の左隣の席だけが空いているのです。とうとう全幕の間、お客さんは姿を見せませんでした。ネットやチケット屋さんでプレミアムが付くほどのプラチナチケットです。歌舞伎座に来られないようなよほどの事情があったのでしょう。そのときに当時勘九郎を名乗っていた18世勘三郎の次のような話を思い出しました。
昭和63年4月16日、17世勘三郎が亡くなったその日も当時の勘九郎は歌舞伎座の舞台に立って「髪結新三」をやっていましたが、その夜の部で出番を舞台の袖で待っていたとき何気なく客席を見たらなぜかたった一つだけ席が空いているのに気が付いて「あっ親父が見に来てる。」と突然思ったそうです。ついさっき病院で亡くなった父親の魂が息子の芝居が気になって病院を抜け出し、あの空いている席に座っていると直感したのだそうです。足の震えが止まらず思わず目をつむってもう一度その席を見たらそこだけボーッと明るくなっていたように見えたとのことでした。
舞台上の勘九郎と七之助はこの話をきっと知っているはずですから、彼らもこの空いている席を見て「アッ親父が見に来てくれている!」と思ったかもしれません。18世勘三郎の魂と隣合わせで歌舞伎座杮落し公演を見ることができるなんて、こんな幸せがあっていいものかと感動が二倍になりました。チケット代が三倍でもよかったです、ハイ。