平成28年納めの12月観劇は歌舞伎座での坂東玉三郎主演の「二人椀久(ににんわんきゅう)」と「京鹿子娘五人道成寺(きょうかのこむすめごにんどうじょうじ)」でした。基本的にどちらも舞踊劇ですが、美しい幻と妖怪変化(ようかいへんげ)がそれぞれの主人公です。

「二人椀久」は江戸時代に大阪で一二を争う豪商の椀屋久兵衛が廓で全盛を誇る松山太夫(まつやまたゆう)に心を奪われ放蕩の限りを尽くすのを案じた親類が久兵衛を座敷牢に押し込めて監禁、それ以来松山太夫に会うことのできない久兵衛は太夫恋しさのあまり発狂して水死したという実話から歌舞伎に取り入れられました。

幕が開くと、中村勘九郎扮する正気ではない久兵衛が現れ松山太夫と過ごした昔を懐かしみいつしかまどろむところに、坂東玉三郎扮する松山太夫の幻が現れ久兵衛と華やかに連れ舞いを踊ります。しかしいつしか松山太夫は姿を消してしまい一人残された久兵衛が呆然とその場に泣き伏すところで30分余りの舞踊劇が終わります。私は玉三郎の松山太夫と久兵衛が片岡仁左衛門、中村富十郎、市川海老蔵などで何度もこの舞踊劇を見ていますがいつ見ても玉三郎演じるもの悲しくしかし妖艶な松山太夫にうっとりさせられます。

最前列で観劇している私の隣に40代前半と思しきスラッとした長身で長髪、ミニスカートの、いわば平成初め頃のバブル絶頂期に一世を風靡したワンレンボディコンギャル(もう死語ですかね。)の生き残り(?)のようないでたちの女性が座っていたのですが、玉三郎が現れた瞬間や見事な踊りの時に感に堪えたように“ハー”とか“キャー”とか“アッ”とかの小さな溜息を次々ともらすのです。その方面の素養のない人がそれを悟られまいとわざと大仰に感動したふりをして鼻につくことはありますが、この女性の場合ホントに感動して溜息をついているのが伝わってきました。ここまで舞台に感情移入できるのは素晴らしいなと思いながら次の舞台の「京鹿子娘五人道成寺」の幕が開きました。この舞踊劇は紀州道成寺に伝わる安珍清姫伝説の後日譚という趣の大作ですが、娘の執念よりも乙女の恋心を様々な形態で描くことが主眼で多くの観客に愛され上演を重ねています。主人公の(実は清姫の怨霊)白拍子花子(しらびょうしはなこ)を以前は一人だったのが玉三郎の工夫で二人の白拍子花子で踊る「京鹿子娘二人道成寺」そしてそれをさらに豪華に五人の白拍子花子で踊る「京鹿子娘五人道成寺」にまで発展させた圧倒的な量感の美を楽しむことができました。玉三郎のほか勘九郎・七之助・児太郎・梅枝の五人が白拍子花子に扮して踊るのですからもうたまりませんね。

先述の、隣の席に座る女性も当然のように要所要所で前の舞台同様荒い息遣いと溜息を洩らし心臓の鼓動までこちらに伝わってくるようです。ところで「京鹿子娘道成寺」は舞踊の最中に観客に対するサービスとして、結んだ手拭いを観客席に4本一瞬に放るのがあります。舞台中盤に差し掛かりそろそろかなと思っていたら案の定玉三郎が後見役から受け取った手拭いを一瞬にして観客席に放り投げましたがそのうちの一本がまるで私に吸い寄せられるかのように一直線に飛んできて私の膝の上に載ったのです。当然しっかりと両手ですぐ抑えましたが、隣の女性の嘆きがこれも一瞬にして感じたのでせっかくの大和屋坂東玉三郎の手拭いでしたが隣の女性に「よかったらどうぞ」と小声で言って手渡したのです。この女性の狂喜乱舞欣喜雀躍驚天動地いかばかり!「エッ、すみません、ありがと、ありがと、ありがと、うわあウレシイ、ウレシイ」と小声で感謝を表し私の手を自分の顔に押し当てようとした(ように見えた)ので慌てて自分の手をすぐひっこめました。私は娘道成寺の手拭いはこれまで2本手にしていますのでもうこれ以上なくてもいいのです。18代目勘三郎(当代勘九郎のお父さんです。)からは、最前列に座る私にハイヨとばかりに直接手渡してもらったこともありました。

全くの私の夢想空想ですが、この女性は歌舞伎が大好きで大好きでたまらず男には目もくれず生涯歌舞伎だけを生きがいに過ごそうとしているいわば“歌舞伎と結婚”したのかもしれません。(シツレー千万!)こういう一生もいいよな(オーキナお世話‼)と思いながら、終演後この女性と言葉を交わすこともなく目礼だけで帰りの新幹線に急いだのでした。