当代市川海老蔵丈の夫人小林麻央ちゃんの訃報が、平成29年6月23日夜7時のNHKニュースのなんとトップニュースで報じられました。この日は東京都議選告示と沖縄慰霊の日であるにもかかわらず(報道バラエティー番組ならいざ知らず)海老蔵夫人の訃報がトップだったのです。
平成22年に二人が結婚した時、私はこの“お芝居礼賛ぱあと19”で「今をときめく市川宗家の海老蔵丈に嫁ぐことになった小林麻央チャン、梨園の厳しいしきたりのほかにも何としても男の子を生まねばならないという大変なプレッシャーもあるということをユメユメお忘れなきように。(オーキナお世話か。)」と書きましたが、今から5年前に長女麗禾(れいか)ちゃん、そしてその翌年には待望の長男勸玄(かんげん)君を産んで見事梨園の嫁としての務め(の一つ)を果たした矢先の乳がんだったのだそうです。海老蔵・麻央ちゃんの苦悩如何ばかり。
昨年10月の麻央ちゃんのブログにこう書いてあったそうです。
5年10年生きたいのだー
あわよくば30年
いや40年
50年は求めませんから
“あわよくば30年”生きたとしても今年34歳の麻央ちゃんたった64歳にしかなりません。どんなにか悲痛な思いでこの文章を書いたのか、読んだ海老蔵はきっと胸が潰れる思いだったに違いありません。
歌舞伎の名作の一つに菊池寛原作の「藤十郎の恋」というのがあります。江戸時代元禄期の上方歌舞伎の名優坂田藤十郎が初めて演じることになった、人妻に恋をする密夫(みそかお)を描く姦通(かんつう)ものの演技・工夫に悩んだ末に料亭の女将お梶にわざと言い寄り密夫を自ら体験し、女の心の動きや仕草を観察して役を作ろうとしたのです。日本一の歌舞伎役者に言い寄られるのです。現代なら「嫌よ!」と拒絶する女性はいないのでしょう(たぶん)が、儒教的道徳が染みついていた江戸時代です。二人きりの部屋でお梶は気も狂わんばかりの葛藤の末に「今おっしゃったことは皆本心かいな」と確かめてから覚悟を決めた燃える瞳で藤十郎を一目見るといきなり絹行燈(きぬあんどん)の灯を吹き消します。OKのシグナルです。しかしお梶を好きでもなんともないただ芸の工夫の材料のためにお梶を利用したに過ぎない藤十郎は、男が手出しをしてくるのを震えながら待っているお梶の傍をすり抜けもう工夫はついたとばかりに足早に去っていくのです。そして偽りの恋のすべてを理解したお梶は絶望のあまり楽屋で自害します。運ばれてきたお梶の死骸を目にした藤十郎は「藤十郎の芸の人気が女子一人の命などで傷つけられてよいものか」と言い放つのです。芸のために一人の女を犠牲にしたうしろめたさを覚えながらも、藤十郎は新たな芸を開拓したのでした。平成8年11月歌舞伎座で人間国宝四代目中村雀右衛門のお梶と四代目中村梅玉の藤十郎で公演され、その当時すでに75歳になっていた雀右衛門扮するお梶が絹行燈の灯を消した時のドキリとするような興奮が忘れられない舞台でした。
元禄時代、江戸歌舞伎は超人的な人物が活躍する荒事という演出が好まれ初世市川團十郎(当代海老蔵のご先祖様です。)がその代表でした。これに対して京都大阪の上方歌舞伎は恋愛や家庭悲劇など現実的な出来事を扱った作品が人気で坂田藤十郎(当代藤十郎丈のご先祖様です。)がその和事の代表格でした。当代海老蔵は結婚前まで悪童(言動・素行不良と言い換えてもいいかも)で有名でした。父親の十二代目故市川團十郎も大分手を焼いたと伝わっていますが、現代まで続く荒事で鳴らす市川宗家の海老蔵にとってはこれらもすべて芸の為だったのかもしれません。もし計算しつくしたうえでの悪行の数々だった(おそらく違うとは思いますけど。)としたら、それはもう恐るべき稀有な歌舞伎役者というしかありません。
たった7年ほどの結婚生活で終止符を打たねばならなかった海老蔵丈の悲しみは察するに余りありますが、願わくはこの悲しみを芸の肥やしにし荒事のみならず和事にまでその才能を広げてさらに歌舞伎界の高みを目指すことこそ最愛の妻麻央ちゃんに対する最大の供養になるのではと感じています。自身の色恋や事件、そして死など異常なことの体験はみんな芸の糧(かて)となるものです。亡くなった翌日の海老蔵のブログには「どんなことがあろうと舞台」と書かれてありました。もって瞑すべし、合掌。