平成19年6月は新橋演舞場で泉ピン子さん主演の“おんな太閤記”を、親子三人最前列中央で観劇することができました。午前11時半開演直前の短い時間でしたがピン子さんの 楽屋にお呼ばれしすっかり扮装も化粧もばっちり決めたピン子さんと談笑して一緒の写真も何枚か撮ることができました。それから10数分後に我々が観客席に座ってピン子さんが舞台奥からついさっき見たままの扮装で現れたときは少し不思議な気分でした。
“おんな太閤記”のピン子さんは秀吉の妹あさひ姫の役です。設定ではもう44歳になっていて仲睦まじく暮らしていた亭主と離縁させられ豊臣家の御為にと、正妻のいなかった 徳川家康とまったく意に染まない結婚を強いられるという史実に基づいたお芝居です。
家康との結婚を嫌がるあさひ姫に対し渡辺徹扮する秀吉が天下国家の為と舞台上で長広舌を振るっているとき、私は私の目の前ほんの2メートルのところに座っているピン子さんの顔の表情に注目しておりました。ピン子さんも私の顔をじっと見ています。お互い実はにらめっこをしていたようなものでした。
台詞を喋っている役者さんに観客の視線が集まるのは当然ですが、私はそれを聞いているほかの役者がどういう顔の表情などの振る舞いをするのかにも興味があります。最初から最後まで怒りに震えるのか説得を受け容れていくのかの心の中の様子をどのように表情にあらわすのかはあまり目立ちませんが重要な演技力ではないかと考えています。
実はお芝居から帰ってきた翌日の夜11時にTBS系列の“情熱大陸”という番組でピン子さんを特集していたので普段あまりテレビを見ない私もじっくり拝見しましたが、その中で10代の共演者に対し「他の人が喋っているときに単純に笑ってちゃだめ!もう子役じゃないんだからその辺考えなさい。」と叱っていた場面がありました。録画取りの最中に実際に起きたことですので見るほうも身の引き締まる思いでした。台詞を喋っていないときは演技がお休みだとは考えないのでしょうがそれでも少しは演技が疎かになる役者さんも多いのではないかと思います。それを見事にピシッと指摘されたピン子さんに思わず拍手を送りたくなりました。演出や監督の分野でも能力を発揮されるのではないかと感じました。
こういうことはテレビよりも舞台のほうがシビアですね。テレビの場合はカメラに映っていなければそれはお休みと考えていいのでしょうが、舞台はそうはいきません。満座の観客は舞台上の誰を見ているかわからないのです。
同じく平成19年6月に日本橋三越劇場で俳優座の加藤剛主演の“上意討ち-拝領妻始末-”というお芝居を見ました。三越劇場は小さい劇場で新橋演舞場の4分の1程度の広さしかありません。それだけに舞台上の俳優さんにはよりきめ細かい演技が求められます。
この“上意討ち”というお芝居はひょんなことから殿様の側室を自分の息子の嫁に迎えねばならなくなったもののその後仲睦まじく暮らして子供まで生まれるのですが、ある事情からこの嫁を殿様に返せと命令されるのです。加藤剛親子はこれを拒むのですが、親類一同が殿様の命に従うよう大挙して説得にやってくるのです。一族の長老や有力者が、これを拒否すれば親類一同にも災厄に見舞われるとか素直に返せば出世のチャンスだとかと一生懸命に説得するのですがそれを聞いている加藤剛親子の表情も、親類の思惑もわからなくはないが段々と憤怒に燃える様までの心の変化を父親と息子それぞれの顔の表情としぐさだけで(おそらく計算されつくした演技だったのでしょう)見事に表しました。
結局加藤剛とその息子は拒否を貫いて討手に討たれるのですが、昭和13年生まれの加藤剛にとって二時間あまりの出ずっぱりの後の長い殺陣回りでおそらく大変お疲れだったのでしょう。最後に鉄砲で撃たれて死んでしまった(筈の)加藤剛の肩が大きく波打っているのです。つまりぜーぜーと肩で息をしているのです。観客はきっとあれは死んだ振りをしていてもう少ししたらもう一度立ち上がって斬りあいをするのではと期待したはずですが残念ながらそうではありませんでした。返せと命じられた嫁もみんな死んでしまうというほとんど救いようのないお芝居でしたが最後に多少のご愛嬌でちょっと救われた思い(?)でした。