平成18年の私の観劇事始は1月8日の歌舞伎座で(4代目)平成の坂田藤十郎の襲名披露興業からでした。231年ぶりの大名跡復活に場内は熱気に包まれました。襲名の口上では新坂田藤十郎丈を真ん中に成駒屋一門や松本幸四郎丈、中村吉右衛門丈など幹部俳優が舞台の上にずらりと並びました。御年74歳の藤十郎丈の隣には孫の虎之助君と長男の翫雀丈が控えます。どんなにか嬉しかったことでしょうか。伝統を継ぐべき血のつながった子と幼い孫が自分の襲名の口上を満員の観客の前で述べてくれるのですから。歌舞伎の醍醐味のひとつですね。

思い出されるのは平成7年11月の坂東巳之助君(当時6歳)の初舞台です。祖父の坂東三津五郎(9代目→平成11年没)と父の八十助(現10代目三津五郎)ととに”寿靭猿”という短いお芝居でした。踊りの神様といわれた7代目三津五郎(昭和36年没)に子供がなく、養子の8代目にも男の子がないまま昭和 50年ふぐで急逝してしまいました。すったもんだの末に9代目を継いだ三津五郎の長男八十助に孫巳之助が生まれとうとう正真正銘血のつながった大和屋三代が一緒に舞台に立ったという大変めでたいお芝居だったのです。

“孫は子よりいでてその愛、子に勝る”とか。9代目もどんなに嬉しかったことでしょう。
舞台の上で小猿に扮した孫に「畜生なれどもよう聞けや」と猿曳きの9代目が諭す場面にはこちらも目が潤みました。その後危うい命を救われて喜び踊る小猿を 9代目が横目で一生懸命見ているのです。

私は最前列に座っていたからよく見えるのですが、正面を向いた9代目が(悠然とまっすぐ正面を見据えねばならない場面にもかかわらず)おそらくはらはらしながら横目で可愛い孫の踊る姿を見ていたのでしょう。もともと余り目の大きい役者ではない9代目が半眼にして横目を使っていたのでほとんどの人は気がつかなかったと思いますが、私には孫を思う気持ちが強く伝わってきました。
その巳之助君ももう18歳です。歌舞伎座の大舞台で大人の役を演じるのを見るたびに改めてめぐる年月の早さに舌を巻く思いです。現10代目三津五郎にもそのような日々がそう遠からず巡ってくることでしょう。

一晩東京に泊まって翌1月9日は明治座で”渡る世間は鬼ばかり”をこの日の朝東京にやってくる家内と娘と3人で一緒に楽しみました。実は昨年来、主演の泉ピン子さんとそのマネージャーから何度か手紙をもらっていて、是非明治座の楽屋に遊びに来て貰いたいと言われていたのです。お芝居の30分の幕間にYマネージャー(女性)に案内されてピン子さんの楽屋に入ったとき、私は年甲斐もなく舞い上がってしまい頭の中が真っ白になりました。娘は「お父さんばっかりピン子さんと喋って私はさっぱり喋れなかった。」と少しふくれてはいましたが、普通の人には決して経験できない役者さんの(しかも主演女優!)楽屋訪問に興奮しっぱなしでした。ピン子さんと記念写真もとりお土産もたくさん頂戴しました。

芝居は大変体力の要るものです。疲れていない訳はありません。たった30分しかない幕間の時間は役者さんにとって大変貴重であるにもかかわらず私たちのために時間をとってくださったピン子さんは何とファン思いの方なんでしょうか。
角野卓造さんともお会いでき、名残惜しくピン子さんの楽屋を後にして後半のお芝居を見始めたときです。おなじみのラーメン店幸楽の店内で電話のベルが鳴りピン子さんが受話器を取って「はいはいオーギヤサンですね。ラーメン三つ、毎度ありがとうございます。」とひときわ大きい声で言って下さったではありませんか!! 私ども3人以外の観客は当然誰もなんとも思わないシーンですが私たちには飛び上がるほどの衝撃でした。これ以上ない舞台上からのファンサービスですね。

ピン子さんの「はいはいオーギヤさん」という響きが耳に心地よく残っています。一瞬気が遠くなるようななんともいえない良い気持ちでした。これまで時々目にしていたお芝居進行に全く無意味とも思えるセリフや動作もきっと特定のファン向けのサービスという意味合いがあるのだろうと今後は少し違った目でお芝居を見ることができるようになったような気がします。新しい発見でした。

昨年春ごろでしたか日経新聞”私の交遊録”欄にピン子さんのことを題材にした埼玉県のS社のK会長さんのエッセイが掲載されていましたが(詳細は忘れてしまいましたが)”捨て目を使う”という表現でピン子さんが気配りの達人であるというような内容だったと記憶しています。相手が大会社の会長さんであれば誰でも気を使うのは当然かと思いますが、私どものような一介のファンにまで驚くような気配りをしていただけるのは信じられない思いです。是非自分自身の仕事にも活用したいと思います。

“渡る世間は鬼ばかり”というお芝居には観客(視聴者)に対する様々なメッセージが込められていると思いますが、私は疲れたときやめげているときに元気を与えてもらえるようなお芝居だと感じています。娘はこのお芝居の中でピン子さんのセリフの”ユー気・ゲン気・ヤル気”というのが気に入ったようですが、私は終演間近の”余裕のないときは深呼吸をしてニッコリ笑いましょう”が大変印象に残りました。私は余裕なく仕事して疲れる時や大小の失敗で落ち込むこともありますが、今後はそのようなときこそ深呼吸をしてニッコリ笑ってみようと思います。

1月10日夜日本テレビ系列で忠犬ハチ公の物語が放映されていました。私はあまりテレビは見ませんがピン子さんが上野博士夫人静子役で出演されていたのでじっくり見ました。
いつもの小島五月さん役、忠犬ハチ公の上野静子さん役、バラエティ番組のピン子さん、その他の舞台やテレビドラマで見るピン子さんはそれぞれがみんな全く違った人のようです。もちろん役者さんはその役になりきるから違う人に見えるのは当然ですが、ほとんどの役者さんはたとえ役によって化粧や扮装が大きく変わろうともやはり同じこの人が演じているのだという感覚はあります。

私が大好きな藤山直美さんや黒木瞳さん、沢口靖子さんも残念ながらその例外ではありません。ところがピン子さんだけは違うのです。役柄によって同じピン子さんの顔立ち目つきそして品格さえも大きく変わるので全く別の人が演じているのではないかという錯覚にとらわれることがしばしばです。
昨年8月新宿紀伊国屋ホールで「赤い月」を見に行った際、思いがけずピン子さんがプライベートに観客としていらしていて短い幕間に原作者のなかにし礼さんと大和田獏さんと歓談されていましたが一種近寄りがたい雰囲気でした。プライベートのお顔・お姿の何とお綺麗なこと!今まで舞台やテレビでは全く拝見したことのないピン子さんがそこにいて大変興味深い思いでした。
ヒロシ風に表現すると”ヒロシです。どれがホントのピン子さんかわからんとです。”という感じです。

常に公衆の目にさらされねばならない役者さんにとってプライベートは自宅でたった一人になるとき以外ないのかもしれません。そういう意味では「赤い月」を観客として見ていたのも、もしかすると”女優 泉ピン子”さんとしてだったのでしょうか。

今回ピン子さんの楽屋を訪問させていただくに際してマネージャーのYさんには大変お世話になり又ご迷惑もおかけしてしまいました。私のところにお手紙も2度頂戴しましたが、きっとこのような方だろうと自分なりにイメージしていた”30代後半のきびきびして目のパッチリした小柄な美人”というまさにぴったりの方でした。これぐらい想像通りだった方は珍しいのでなんだか嬉しくなりました。

私は先代広沢虎造の浪曲が大好きですがその中で森の石松を主人公にした有名な”三十石船”のなかに「物事出世をするのには話し相手、番頭役が肝心よ」と前置きして「出世代表太閤秀吉公には竹中半兵衛という人あり、みかんで売り出すあの紀伊国屋文左衛門には奥州仙台の浪人で林長五郎が番頭さんになったから文左衛門が出世をした。次郎長とてもその通り話し相手(=子分)が偉いのよ」という名調子を思い出しました。ピン子さんが役に打ち込めるのもきっとYさんのような有能なマネージャーや付け人を多く抱えていらっしゃるからかもしれないと感じました。うらやましい限りです。
昨年11月私の通算観劇本数が700本を越えました。一生の間に1000本見ようと思っていましたが、見果てぬ夢で2000本に目標を引き上げました。天罰が当たらぬようにと祈るや切です。