平成16年も随分とお芝居を見ることが出来ました。
8月の歌舞伎座は中村勘九郎主演の東海道四谷怪談でした。鶴屋南北の手になるこの四谷怪談は日本人に最もよく知られた怪談ですが、江戸時代に忠臣蔵とセットで上演されその外伝という位置付けになります。つまり悪役民谷伊右衛門は実は赤穂浪士なんです。

病み上がりのお岩さんはホントは痩せているはずですが、中村勘九郎のふっくらしたお岩さんは少し違和感がありましたがこれもご愛嬌でしょうか。幽霊は痩せ衰えたほうがより凄みがでると思いますがこればっかりはどうしようもありませんね。

名優6代目尾上菊五郎(勘九郎のおじいさんです)が昭和8年7月にお岩さんを演じたのですが肥っていたので幽霊になるのに難渋、肝心な所で観客が怖がらないのにがっかりしてブロマイドや演劇雑誌にお岩の写真を公開させなかったそうです。勘九郎さんももう少しお痩せになったほうがいいですね、健康のためにも。(大きなお世話か!)

遊ぶ金欲しさの民谷伊右衛門が赤ん坊の寝ている蚊帳を質草にしようとむりやり持っていこうとするのをお岩がその蚊帳を持っていかれまいと必死に取りすがり、遂にはお岩の爪が剥がれて蚊帳に血糊とともに爪がくっついたまま伊右衛門が持っていく凄惨なシーンがあります。

私は昭和40年代中ごろまでだったでしょうか蚊帳はごく普通に使っていました。しかし今の若い人には蚊帳といってもきっとぴんとこないかもしれません。何故お岩があれほど必死の形相で蚊帳を持っていかれまいとするのかが蚊帳の重要性(特に江戸時代の)がわからない観客には理解できないかもしれません。蚊取線香が発明されるのは明治時代ですが衛生事情が悪く今よりも遥かに蚊が多かった江戸時代の真夏に蚊帳のないところで寝るというのが(特に赤ん坊にとって)どんなに過酷なことか想像できないとあの有名なシーンが今ひとつわからないのではないかと思います。またその当時重要な生活用品であった蚊帳が質草になったということもイメージが湧きにくいですね。

文政8年(1825年)江戸中村座で初演されてから180年近く繰返し上演され舞台上の工夫もされ尽くし洗練されたお芝居であるはずの四谷怪談でさえも楽しむのに多くの予備知識が必要になってくるのは時代の流れで仕方がないことなのかもしれません。

私は落語も大好きです。歌舞伎と共通するストーリーも少なくありません。ときどき東京に仕事や研修で行った際時間を見つけて寄席を覗いてみます。7月に上野鈴本演芸場に行きましたが金曜日の夜席とはいえ観客はほんの20人ほどで寂しいりです。
私は名人上手と言われた噺家のCDやテープは1000巻余りも持っていて、車の中で繰返し聞いています。そうすると不思議なことに名人上手の噺が当り前になってしまい寄席に出る前座、二つ目はおろか真打でさえも余り上手には聞こえなくなってしまいます。(偉そうな事を言ってすみません)ネタもごく一般的な噺ばかりで新鮮さも余り感じられません。特に年配の芸人さんは昭和30年代や40年代なら受けていた芸を平成の時代になっても相変わらずやっているのですが、若い人にはおそらくほとんど受け入れられないのではないかと思います。寄席の凋落は芸人さん方の努力不足にもあるような気がします。

もう一つ見逃せないのが生活様式の変化です。私達が子供のころにごく当り前に使っていた五徳や十能そして蚊帳というものが今の若い人たちにはイメージが多分湧かないのではないかと思います。落語にはしょっちゅう登場するこれらの生活用具を手拭いと扇子だけで表現しなければならないのですから噺家さんは苦しいですね。おそらく演じている若手噺家さんも本物を使ったことがないどころか見たことすらないのではないでしょうか。 次第に古典落語が(そしてもしかすると歌舞伎も)難解な芸になって一部の好事家のためだけの芸になってしまうのではないかと心配しています。

私は芸人という言葉が好きです。よく芸能人という表現が使われますが、”芸人”という響きの方が辛く厳しい修行の末に玄人すらもうならせる”芸”を身につけた人をぴったり表現しているように思います。しかも江戸時代や明治時代には芸人は河原乞食とも称されて
蔑んだ目で見られていた時期も長く、それに対するナニクソという反骨精神がさらに芸に磨きをかけるような気がします。噺家の三遊亭円歌さんが芸ノー人と言うと何か芸が無いようで嫌な感じがするという話を落語の枕に使っていました。

役者さんも芸人の範疇に入ると思いますが、凄まじいばかりの芸の力に圧倒されることもしばしばです。歌舞伎の人気演目の一つに、固い禁酒の誓いを自ら破って大暴れの酒乱の芸を見せる”魚屋宗吾郎”という芝居があります。
私は平成8年12月に市川団十郎の宗五郎で見ました。(勘九郎や菊五郎でも見ました。)
妹を殺された様子を聞かされた宗五郎が「今の話を聞いちゃア酒でも飲まずにゃァいられねエ」と湯呑みにつがせた一杯目を一気呑み、遂に2升樽を飲み干して暴れるシーンでは酒の匂いが客席にぷんぷん匂ってくるような錯覚にとらわれました。いや錯覚ではないような気がしました。ほんとに酔払いの臭気が客席まで漂ってきたのです。

“芸の力”に半ば放心状態になるほど感動して石巻に帰ってきたことがありました。
ところがその後しばらくたってから、歌舞伎をテーマにしたエッセイ集を読んだとき昔 尾上松緑(2代目)が昭和50年代に魚屋宗五郎を演じたとき酒の匂いが客席に漂ってきて話題になったのでそのことを著者が松緑に話した所、実はその日は前の晩酒を飲み過ぎて二日酔いの状態で舞台に上がったのだとか。芸の力でもなんでもなかったんですね。

もしかすると私が見た団十郎扮する宗五郎の酒の匂いもおんなじ理由だったかもしれないと思いましたが確かめる術はありません。それでも雲の上の人としか思えない歌舞伎の 名優にちょっぴり親近感を覚えました。

平成16年6月は芸術座で山本周五郎原作の”初蕾”でした。この作品はテレビにも舞台にも何度も登場しますが、私は小説は読んでいますが舞台ははじめて見ました。

故あって田舎に隠居した老侍夫婦の梶井良左衛門とはまが捨て児(実は自分達の孫)を拾って育てるのですが、その乳母に選んだのが無教養の町娘のお民です。池内淳子扮するはまがお民に「初めに云っておきましょう」と前置きして次のように語るのです。

「お乳をやるときは清らかな正しい心で、姿勢もきちんとするようにしてください。乳をやる者の気持ちや心構えは、乳といっしょにみな児へ伝わるものですからね。小太郎は侍の児ですからそれだけは忘れずに守っていただきますよ」
小説の中でも大変印象的な言葉でした。小説の中の登場人物の言葉や行動は自分なりにイメージを描いてその情景を思い浮かべて作者の言わんとするのを理解するのですが、やはり自分の頭の中のイメージでは限界があります。それを見事に表現するのが舞台上の役者さんです。今回池内淳子のはまが「乳をやるときは・・・」というセリフが見事にその舞台の場面にマッチして観客の心に響いたような気がします。池内淳子の押さえた口調でのこのセリフがいまだに私の耳に残っています。小説を、本で読んだだけではわからない何かが役者さんによって舞台から観客に伝わってくるのです。

これは観劇の醍醐味の一つですね。江戸時代の侍の姑が乳呑児に乳をやるときの心構えを説くのはきっとこのようだったに違いないとまるで江戸時代にタイムスリップしたような気分でした。池内淳子の静かな熱演が大成功を収めた芝居でした。優れた小説を活字で読むだけではなく舞台やテレビで見るときっと新しい感動や発見があるような気がします。

舞台上の熱演が逆に観客の笑いを誘うこともあります。平成16年1月は新橋演舞場で松たか子主演の”おはつ”を見ました。幕末の大阪を舞台に松たか子扮するおはつの悲恋物語ですがその中で北村有起哉(父親は文学座俳優の北村和夫)扮する沖田総司と佐々木蔵之介扮する直助との切り合いのシーンでした。激しい殺陣まわりのせいでなんと直助の鬘がポーンと飛んでいってしまったのです。それでも殺陣は続けられましたが侍の服装に鬘のない布を巻いた丸い頭が切り合いをするのですから締まらないことこの上ありません。

客席からひそひそ声そして少しずつ笑いを伴ったざわめきが起こり始めたとき沖田総司が殺陣の手を止めて直助に「まず鬘を直してまいれ」と言った時は場内大爆笑でした。鬘が抜け落ちて飛んでいってしまうという珍しいハプニングでした。直助本人は当然気付いていたとは思いますが激しい殺陣の真っ最中だったので演技をやめる訳には行かなかったようです。抜け落ちた鬘はすぐ入れられるのではと思いましたがそうはいかないようで、舞台袖に引っ込んだ直助が再び舞台に出てくるまで10分ぐらいかかりました。その間沖田総司は一人ぽつんと舞台にいたのですが居たたまれなかったのではと同情しました。

こういったハプニングは少し得したような気分になりますね。私はまもなく観劇本数が700本になります。この先どんな楽しいお芝居が待っているかと考えるとワクワクする思いで一杯です。
神様仏様 呑まない・打たない・買わない私のほとんど唯一の趣味をどうかお許し下さい。