昭和208月の敗戦直前、戦局悪化に伴う極端な金属不足に苦しんだ日本政府が補助貨幣である一銭硬貨を焼き物で作ろうとしたことがありました。硬貨はアルミニウム、銅、鈴亜鉛などの金属で作られるのが普通であって、簡単に割れてしまう陶器で作るなど考えられないことですが、そこまで日本は追い詰められていたということなのでしょう。

紀伊国屋サザンシアター10月公演“一銭陶貨”というお芝居はこの不可能とも思える陶器で硬貨を製作するという作業に取り組んだ瀬戸物職人の実話に基づいた苦心談を、劇作家佃典彦が一編の戯曲にまとめ上げ(メジャーな俳優は出演しませんでしたが)文学座の手練れの俳優さんたちが見事に演じた秀作となりました。私がこれまで見た文学座作品の中では最も優れた作品だと感じています。

物語りは戦局が絶望的となった昭和19年秋、陶貨製作依頼の担当者井上が愛知の焼き物の町瀬戸にやってきてここで四代に渡り瀬戸物職を営む加藤家にその無謀とも思える依頼をします。佐賀の有田焼、京都の清水焼の職人からは早々に不可能と製作を断られており、井上自身も戦争前まで陶器製造の会社に長く在籍していたことがあってできないということは重々承知の上です。加藤家では陶芸でかつて名を成した三代目嘉男が戦争により陶器製造依頼が激減しすっかりやる気をなくしています。学業優秀で陶芸の腕前も父親をしのぐとまで言われてこれからを嘱望された長男和雄が兵隊にとられ片目片腕を失う重傷を負って加藤家に帰ってきたもののもう陶芸はできません。次男昭二は有能な兄の影に隠れて卑屈になり、自身の子供の頃の大怪我で足がかなり不自由であることも相俟って徴兵されることもなく無為徒食・自堕落な生活を送っています。ところがなぜかこの昭二が一銭陶貨を作ることに意欲を示し、加藤家の女中水沢秋代と共に、米軍機による空襲や昭和1912月の東南海大地震(マグニチュード7.9で戦争終結を早めたとすら言われている。)さらには物資の不足を乗り越えて試行錯誤・苦心惨憺の末についに昭和20年の終戦直前に同じ形・色・重さ・模様そして割れにくいという一銭玉を陶器で作ることに成功します。そして製作機械も順調に手配することができ目標の7億枚の一銭陶貨を製作し始める寸前に終戦となってしまい昭二や秋代そして井上たちの苦労がすべて水の泡となってしまいます。しかし秋代は共に一銭陶貨製作に苦労を分かち合った昭二とその後結婚し、90歳を過ぎた令和の御代まで生き延び陶芸職人としての加藤家を守り通しました。最後に少しだけホッとさせられた後味の極めていい作品でした。

この戯曲は身体障害と能力の不足などの自身の不幸を呪いながら自暴自棄の毎日を送っていた昭二が、人間が本来持っている他の人に認められたいという欲求に突然火が付き、一心に不可能と思えることに挑戦するという多くの人に共感を得やすいストーリーになっています。そしてそれを支える存在としての女中秋代と共についに一銭陶貨試作に成功し量産の当てもついた時は拍手喝采を送りたい気分でした。

紀伊国屋サザンシアター468席満員のお客さんのほとんどは陶器で一銭玉を終戦直前に作ろうとしたことがあったということを知らないようでした(一緒に観劇した私の88歳になる母親も、もちろん60歳の弟も知らなかった。)が、金属不足が深刻になっていた戦争末期には様々なものが代用品として陶器で作られていたのです。お芝居にも出てきましたが兵器としての手榴弾、地雷、爆弾なども陶器製のものが作られ実際に使われたこともありました。物資不足により代用品を使わざるを得なかった或いは政府が大大的に代用品の使用を推奨するということは平成時代にはただの一度もありませんでした。なんでも有り余るほど物資豊富な現代にあってほとんどの人は意識していませんが、これは大変に有難いことと感謝すべきかもしれませんね。

このお芝居で女中役の秋代を演じた若手俳優の平体(ひらたい)まひろの熱演が光りました。舞台に出る若い女中さんというものは、可愛げはあるが美人ではなく(アハハ、まひろちゃん御免ね。)、小柄で、どこかおどおどしていて、ドジを踏むと可哀そうになるぐらいに落ち込んで、でも仕事をてきぱきとこなして、というのが定番ですが、私はこの平体まひろ演じる定番そのものの女中秋代が主役ではないかとすら感じたぐらいに加藤家の女中役を好演していました。それほど演技が上手で芝居全体を引き締まったものにしていたのです。

“一銭陶貨”のパンフレットに「出演者に聞きました。ピンと来たなと感じた時の状況」というコーナーで平体まひろちゃんは、こう書いていました。

「疲労困憊で夜遅くに寄ったスーパー。いつもは一枚400円で手が出ないトンカツが、売れ残って半額になっている。・・・ピン!うちにあった冷凍ご飯とレトルトカレーと合わせて、あーら即席カツカレーの出来上がり‼200円で最強の幸せを手に入れられましたとさ。」

全く若い女中の発想そのものの私生活に思わずクスリと笑いがこぼれ、その文章力とも相俟って俳優としての彼女に一層好感を持ちました。今後是非注目しようと思っています。そういえば“女中”という表現は差別用語なんだそうで“お手伝い”としなければいけないとのことですが、戦前の昔からお手伝いも女中も普通に使われており何がどう違うのかどこがどう差別なのか私には全く分かりません。劇中の昭二のセリフに自身の足の不自由さを「びっこ」と一度だけ表現していました。特定の人や障害のある人たちを貶める意図は全くないわけですから、正義感ぶってあまりに細かいところまで目くじらを立てることはお芝居の構成に制約を課すような気がしてなりません。もっと鷹揚に考えてもらうことはできないもんでしょうかね。