彩雲一一型
昭和18年(紀元2603年)から海軍では年号による命名方式をやめ偵察機には気象にかかわる文字を当てることにしたので“彩雲”という名前にした。したがって海軍では“三式…”という命名はない。しかし海軍と仲の悪かった陸軍は終戦の年の昭和20年まで年号による命名を続けたので陸軍の昭和18年(紀元2603年)正式採用の三式戦闘機飛燕、昭和19年(紀元2604年)の四式戦闘機疾風、昭和20年(紀元2605年)の五式戦闘機という具合に命名されている。
大戦中に最初から艦上偵察機(航空母艦から発進する偵察機)として設計された唯一の機体で速度は日本海軍期の中で最高だった。昭和19年6月のマリアナ沖海戦で索敵に出た彩雲がアメリカ軍のグラマンF6F戦闘機に襲われたが優速を生かして逃げ切り「我に追いつくグラマンなし」との電報を母艦に打って「関係のない電報を打つな!」と帰投してから搭乗員が叱られたとの逸話が残っている。彩雲も人気の模型でハセガワやフジミ、タミヤの日本メーカーのほかに海外メーカーもキットを発売していて入手は容易である。
符号 | C6N1 |
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縮尺 | 1/48 |
模型メーカー | ハセガワ |
素材 | プラスチック |